見出し画像

ひとりの意志

 圧をかけるのも、かけられるのも好まない、避ける人間がいる。
私もその一人だ。

そういう人は一人を好み、自分の考えを表に出さないため、同じ考えの人と固まることも難しい。そうなってしまうと、その他のコミュニティーを築いた人々や、その代表者は、一人でいる人の行動で理解できないところがあると自分の理解の範囲内に戻したいと思う。

この時、対話ができるなら対話を。対話とは話すより質問することに重きをおくコミュニケーション方法だ。対面で話さず、筆談、手紙などでもその行動の大元を聞き出せるはずだ。
それも無理なら、外に連れ出したり、適切なコミュニケーションをとればストレスによる生活能力低下等は改善されるはずだ。

ここからは私の意向を書く。
個人的に2段落目のような考えをしたであろう人に信じられない方法を強制され、個人の尊厳を打ち砕かれた者として、当時のことを語る。
日常生活からの逃避のために夜にしか起きれなくなり、生活能力が落ち、少しでも運動した方がいいという考えから夜でもいいので散歩しようと考えた。
前提に、そもそもそのときの私の身の回りに、自分に積極的に関わろうとしたり、体調や今日のできごとなどの雑談を振ってくれる安心させてくれる人はいなかった。当然1日中、話もしない。

やっと自分の変化を気にされたと思えば、家族ではなく他人だった。それは公務員で、仕事で接してきた人間だった。自分のストレスの元凶から小さい子どもでも不機嫌なことを言葉でなく行動で伝える者があるように、言葉では説明できなかった。
そこから、公務員のひとりに、この人は頭がおかしいと思考放棄される発言をされ、ひとつの自分の意志ある人間への対応とは思えぬ仕打ちを受けた。
トイレは扉をあけ、人の前でしろと言われ、(同性ではあるが)有無を言わさずどこに連れて行くかと思えば、窓もなく、人体実験でもおこなわれるのかと思える、清潔なのかも怪しい場所に、何日も閉じ込められた。(食事はあった)

ただ、明かりをつけて布団でもかけて、飲み物でも差し出してくれてたら、そうしてくれたらとずっと思っている。

甘えだったのだ。子どものような機嫌の表し方をしたのも、外で自分のメンタルを自分でケアせず遊んだのも。寄り添ってくれる人がいると甘えさせてくれる人がいると思いたかった。
傲慢だろうか?勝手な期待ではあるだろう。

いいなと思ったら応援しよう!