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播磨国旅行記|上


寒さがこたえる今年の冬ですが、それでも私の住む地域には雪は降りません。
もう少しで冬が終わってしまう。雪はひと目みてみたい。けれどスキーやスノボなどのウィンタースポーツがしたい訳でもない。東北や北海道は行くならば長期滞在したい。

そうだ、播磨国へ行こう。


ということで播磨国(兵庫県)の竹田城跡、生野銀山、柳田國男生家に行ってきました。不思議な体験をしたり思いどおりにいかなかったりと四苦八苦な旅となりましたが、その様子をおかしんでいただければと思います。



はじめての町屋古民家に泊まる

今回は一日目の夕方に現地到着し、二日目に目いっぱい遊ぶという一泊二日プラン。
お宿は竹田城跡のすぐ麓にある竹田寺子屋はな亭さん。このあたりはかつては城下町だったこともあり古い街並みがきれいに残っていて、景観がとても美しかったです。 

はな亭は一棟貸の宿泊施設ということで、食事は別の場所でいだだくスタイル。この食事処がまたよい雰囲気の建物で、食事会場は和室にこたつという組み合わせでとても落ち着きました。

お食事に関しては予約サイトでの写真以上のボリューム。我こそは食いしんぼうという人にとてもおすすめです。少食のかたは覚悟してお腹をぺこぺこにしておくのがおすすめです。

食事処の寺子屋さん(閉店後)

寺子屋さんの前からライトアップされた竹田城跡が見られたため、写真におさめようとしましたがうまく撮れずに断念。iPhoneカメラの限界を知る。

町屋古民家のはな亭はほどよくリフォームされており、トイレやお風呂場は綺麗でありながら古めかしいインテリアを基調としていて新鮮でした。

ここの主の趣味なのか、ふだん見かけないランプばかりで面白かったです。

あら

私の友人にとてもセンスのよい女性がいるのですが、彼女は照明になみなみならぬこだわりを持っているのを思い出しました。
私もそのうち「自分はこれだ!」というものを見つけたいけれど、今はまだ冒険中です。


そしてここのお宿は風呂場に直接温泉を引いて循環させているらしく、小さい浴槽ながらも短時間でほかほかにあたたまりました。

竹田城跡は天空の城として一躍名を馳せましたが、雲海は毎日でてくれる訳ではありません。なんならでない日のほうが多いんじゃなかろうか。どうなるかは朝になってからのおたのしみです。21時には床につき、翌日に向けてしっかり睡眠をとりました。



立雲峡へ向かい竹田城跡を臨む

朝食を済ませ宿を出発し、立雲峡へ車を走らせます。この日はあいにく雲海はでませんでしたが、見事な晴れ模様だったためこれはこれでよし。
竹田城跡は1月4日から2月28日まで閉山しているため、この時期は立雲峡から城跡を見るというのが主流になります。

TVや雑誌やSNSで見られるような映像はほとんどこの立雲峡から撮ったものらしく、城跡の真向かいにあるためとても見晴らしがよいです。

山の中腹までは車で行くことができますが、そこから第一展望台へは歩いて行かねばなりません。山には雪がちらほら。

ようやく見られた雪にわーい!と喜ぶのもつかの間、登頂するにつれしんどすぎて無くなる会話。そして止まらない息切れ。無言で大汗をかきながら登りつづけること約30分、ようやく第一展望台に到着しました。

登頂の達成感
第一展望台にはきれいな雪がこんもり。



竹田城跡をながめて感じた
「はたらく」ということ


竹田城跡の築城は1443年と伝わっていますから、およそ600年の時を経て、600年前の人びとが作り上げたものが目の前にある。不思議でした。

同時に、うらやましいという気持ちも出てきました。城を作り上げた人びとがどんな思いで働いていたかは分からないけれども、こうして仕事が死後も残り、後世になっても人びとを癒しているというのはとても憧れます。まさに一世一代の業。

もちろん築城に関わっていた人びとは遥か未来でこうして名所となることなんて予想していなかったでしょうが、この大仕事が生涯の誇りとなったことは間違いないはずです。
私が思うに、人にはどこか一世一代の業を求める心があるように感じます。ちょっとナルシスティックですが共感してくれる人もいるのではないでしょうか。


私たちがふだん享受したり、働くことで提供しているサービスやシステムは形として残らないものがほとんどです。日々消えゆくものに自分の人生のリソースを割くことで、生きていてもときに空虚さがあったり、なにかに逃避しないとやっていられない気持ちになったりするのではないかと思うのです。


もちろん目に見えて自分の仕事が世に残らなくとも働くすべてのひとが尊いことには変わりありませんし、必要であることはあきらかです。しかしはたらきが目に見える形として残ることで個々の人生や魂が浮かばれるような気がします。竹田城跡の石垣のように。

救いなのは、「はたらく」というのはお金が発生する行為だけではないということです。
たとえば、絵を描いたり俳句やエッセイを世にだすこと。これらにはたとえ報酬が発生しなくとも、自身や読み手が癒やされたり笑えるならば間違いなくとても価値のあるはたらきです。

日本人は恥の概念が病的な民族ですから、どうしても社会も個人も完璧主義が過ぎるところがあります。たとえば、すてきな歌声をもっているひとでも「人に聴かせるレベルじゃないから」と近しいひと以外には聴かせなかったりしますよね。

こういったことはざらにあって、私はこれは由々しき事態だと考えています。「人に見せられるレベルじゃない」「お金を稼げるレベルじゃない」こういった価値観の蔓えんによって、個人がもっているすてきなものや美しいものがなかなか世に出てこない。世に出てこないということは、探しても見つけようがありませんから、そのうち失われることとなります。
失われたものは二度と戻りません。不可逆なロストテクノロジーとなってしまいます。これはおおいなる文化的喪失です。


あるとき、民藝ということばを作った柳宗悦の著書「手仕事の日本」を読んでいると民間で作られている器や陶器は下手物と呼ばれているという記載があり、当時の私は衝撃をうけました。
プロの作家が作った器は上手物と呼ばれ、作家でない民間の人びとが作った器は下手物と呼ばれていたのです。  

だれが言い始めいつごろ定着した言葉かは分かりませんが、下手物と呼ばれてしまう作品や作者を思い、とても悲しくなったのを覚えています。
この下手物と上手物の概念は、先ほど述べた「人に見せられるレベルじゃない」「お金を稼げるレベルじゃない」=だから価値がないんだ(低いのだ)、という現代の私たちが陥りやすいワナにも見事に受け継がれていて、今なお私たち日本人の心に影を落としているようにみえます。

なにが言いたいのかというと、
私たちの誰もが一世一代の業を成し得る可能性を秘めていて、その実現に必要なのは上手であるかどうかやお金になるかどうかではなく、それに癒される人が(じぶん含め)居ることと、世に出していくことが大切なのだということです。




旅行記からはずいぶんと話が逸れてしまいましたが、竹田城跡をながめているうちに日々考えていたはたらくということについてのピースがはまり、来てよかったと感じることができました。
はたらきと人の生活は切っても切り離せませんし、荒削りなところが多いので今後も引き続き考えていくテーマになりそうです。

旅行記後編は不思議で喜劇的な笑える展開になっていますので、そちらも見てくださるとうれしいです。それでは。 


思ほゆ


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