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いろんな設計事務所があるから面白い(後編)

職を失った私だったが、失業手当というものがある。
貯金も少しはあったので、「よし、夏までは一級建築士の試験に注力しよう!」と夏ごろまでは無職を決め込んだ。

そして試験には落ちた。
人生そう上手くいかないものである。

仕方ないから就職するか、と私はハロワに行った。
そして応募先を2つまで絞ったものの、どっちにしようか悩んだ。

そうだ、家に戻って、ホームページ等があれば参考にしよう。
なければ一晩寝て、スッキリした頭でどっちを受けるか決めよう。
そう思って、その日は持ち帰った。

忘れもしない、その日の夕方のこと。

県外に住む祖母が骨折して入院した、と連絡が入った。

祖母よ、タイミング良すぎだろう。

ちょうど時期はコロナ禍真っただ中。県外の我らは病院に入ることはできなかった。そこらへんは高齢の親戚が代わりにやってくれた。マジで神である。

普通なら、県外だしできることがないから、私が直接行く必要はなかった。しかし、放置できない事情があった。

そう。
祖母は未成年のイトコを養育していた。親権者だったのである。

そのイトコの為、大人が必要だった。
ちょうどタイミング良く、無職の私が居た。急きょ母と二人で県外へ行き祖母宅へ泊まり込むことになったのだが。

コロナ禍で長く会えなかった間に、祖母は認知症になっていた。

ダラダラ書いてしまったが、ここから端折ると

・施設の空きを待ったりすること、はや数年
・祖母も良い施設へ入居でき、イトコも就職し、生活も落ち着いた
・少し休んでから、私は職探しを再開

「できれば、また建築設計したいな……」と、やや弱気にはなっていた。アラフォーだし。この年だと即戦力を求められるだろう。

私は「この人の為になら頑張れる」と思えると、やる気がでる。
比重が重いか軽いかは置いといて、誰しもそういうところは無いだろうか?
「この人の頼みごとだったら」と、素直に思えるような人。

幸運にもそんな人と出会えたなら、きっと仕事がより頑張れるな、と思っていた。

そして面接を受けたり落ちたりしながら、出会った1社。

最初に師事したSさんのような会社だった。
面接の印象もとても良く「この人たちの為なら頑張れるかも!いい人かも!」と判断した私は、「学んで身につけて、会社に貢献できるようになりたい」と心から思っていた。
2社目の事務所でも、最初は違い過ぎて不安だったけど頑張れたし!今回も頑張れる!と思っていた。

いま冷静に思うと「あれ?」と思うような言葉がチラホラあったなーと思ったりするが、まあ面接で冷静でいられることって無いからなあ。

そして試用期間中。
「あれ?」と感じた違和感は塵が積もるように堆積し、心に重くのしかかるようになった。
「これは長く働くと心身を壊す」と不安に思った私は、「どうにか穏便に試用期間で辞めよう」と考えるのであった。

けして悪人ではない。悪ではない。
確かな理想はあったし、合う人は合うのだろう、と思う。

ただ、私には合わなかった。乗り越えられなかった。
年を取って、私も頑固になったのかもしれない。辛い気持ちを誤魔化そうと試みたけれど、体に症状が出る始末。体は正直だ。

さすがに命は削れないので、私は逃げる道を選ぶことにした。
これから良き出会いがあって、会社が発展することを願ってる。

ひとつだけ。
「面接の時に感じた違和感は無視できない」ことを、今後の就活に活かしたい。


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