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いろんな設計事務所があるから面白い(前編)

「ブランクあり氷河期世代の私が再就職できたものの社風が合わなさ過ぎて逃げ出したい話」をしようと思います。長いわ重いわ。
でもそんな悲観的な話ではないので安心してください。

もともと祖母の介護で数年仕事から離れていて、ブランクがある。
とはいえ資格があるので、それほど再就職に対して悲観はしていなかった。そう、私は2級建築士なのであった。(一応ね、一応)

しかし、年齢の割に経験は浅い。
そのうえ、今は省エネ法だとか制度が目まぐるしく変わっている過渡期でもある。

5年も離れていれば、気分は浦島状態だ。

いざ就活をし始めて、悩んだ。自分がこの先、どうなりたいのか。



はじめての設計事務所の影響はでかい


私が最初に師事した設計事務所は、古民家を得意とする方だった。Sさんとしよう。

壁は土壁、漆喰、羽目板張り、焼杉、古材を使った太い梁、薪ストーブ、無垢材でつくる床……イメージ、何となく伝わると思う。

私は、それがとても好きだった。

貰える報酬は少なかったものの、大工さんや左官さん、お施主さんと一生懸命作り上げるのがすごく楽しかったし、良い経験をさせてもらえたと今でも思う。

Sさんは、
「家づくりは本物でないといけない。施主の一生がかかってるのだから、金儲け手段ではなくて、本質は家と人のために全力を注ぐのが自分たちの役目。それができて初めて、適切な対価を胸張って貰えるんだ」と、よく言っていた。

Sさんに教えられたことが、私の根っこになっている。

「この人のためなら頑張れる」と思い経験を積ませてもらって、2級建築士の資格も取ることができた。
資格もない経験ゼロのアラサーだった私を、よくやらせてもらえてたなーと思う。冒険したなあ、Sさん。

しかし、諸事情で自分の貯蓄が枯渇したので、私は一度そこから離れることになった。

次に就職した設計事務所で、また私の価値観に変化があった。

真逆の設計事務所へ


ハロワで紹介期限ギリギリだったその事務所は、家からめちゃくちゃ近い所にあった。なんと車で5分だ。
中心地まで車で20~30分は必要だと思っていたので「マジか」と思って求人を詳しく見てみた。

募集していたのは意匠設計。2級建築士なら尚可。創業は古く、従業員の人数も多い。

しかし、何を作っているのか調べても、インターネット上に出てこない。
まだホームページを作ってないところも珍しくない時代なので、まあそういう事もあるよね、先輩が沢山いるなら、わからない時に聞き放題じゃない?と、昔の私は気楽に応募したのであった。

情報が一切ないまま面接に行くと、鉄骨や鉄筋コンクリートが主流。
というか、民間よりも学校などの仕事を主にしている設計事務所だった。

真逆だ。真逆すぎる。

「あれ、これ全然私のしてきたことが通用しないのでは? まずい?」と冷汗が出た事を覚えている。

自分の知識に偏りがあることには気づいていた。
できることなら視野を広げて、自分の良い!と自信もって言えるスタイルを見つけるといい、とSさんにも言われていた。

そこで、面接の時に正直に「木造しかしてこなかったけれど学んで、育ってきた地域のため、役に立つ人間になりたい」と言って、「そうか。社会の恩返しを考えることは大事。ここで頑張ってみるといい」と採用してもらえた。

この事務所でも、多くを学ばせて貰ったと思う。
公共は公共の、民間には民間の良さがある。もちろん、木造も鉄骨も。

食わず嫌いしていた部分があった。
木造ばかりだった頃は「木造こそ至高!」って考え方だったし、鉄骨に関わっていると「鉄骨も良いな!」と。
誇張して書くと「これだけが一番で最高で、後は邪道!」みたいな考え方ではなくなった。

それぞれの知識が深いわけではないが、2つの設計事務所のおかげで、確実に自分の視野は広がったと思っている。

周囲には癖はあるが良い人ばかりで、とても恵まれた環境に居た。

まあ、そんな2つめの事務所も数年後、規模縮小のため事務所をひとつにすることになるのだが。
その為、私はまた彷徨うことになったのであった。

この辺りまでは順調だった。続く。


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