Mrs.GREEN APPLE [The White Lounge ]考察② ※映画ネタバレ含む

#1 マスカレイド 「書きおろし楽曲」の考察

まだ2回しか観に行けていないので覚えきれてませんが、記憶とSpotifyから聴いた声から歌詞を予測してみました。間違ってたらすみません。
今回はこれを基に考察していきます。

ドアを開けたら 何かが変わるのか
誰もが怯えて過ごしている
白い部屋には独りたち

それは具象か、はたまたイメージか
持ちれない愛を探して
白い部屋には独りたち

書きおろし楽曲が披露される前に流れた色褪せた世界。にぎやかな声が聞こえるはずの遊園地ですら人気が無い。
大森元貴が独りであることを知らしめるかのように。

そんな彼が扉と対面し、一直線に進んだ先にあった「白い部屋」。
中には彼と同じように独りで過ごす者が多くいるが、彼らは大森元貴を快く歓迎する。

ここから考えたことは、大森元貴は”単独”を意味する「独り」だが、彼らは他の人の助けを借りずに”独立”していきる「独り」なのではないか。

したがって、「持ちきれない愛を探して」いる自分探しをする大森元貴を「独りたち」が後押ししてくれているのではないだろうか。

あるいは「今日も仮面でハートを隠して」と歌詞中にあることから、本音を覆う者(マスカレイド)が白い部屋に訪れた大森元貴の自我の確立によって、本音を解き放てるようになる。つまり、彼らも”単独”の「独り」であるのかもしれない。

今日も人々は仕事で疲れている
想いを寄せた人を思い出している
びしょ濡れで怒りを放って
光を探してる

今日も人々はチグハグに愛している
青さのカケラを拾って
華やかにステージを飾って
終わりを始めた

台詞後の歌詞はきっとホワイトラウンジでの登場する曲に関連しているのではないか。

「今日も人々は仕事で疲れている」
#2 水と影
これは誰もが一度は思う感情だろう。
『Folktale』での歌詞の終盤に「私は今日もまた歩いてゆく」とあるように、変わらない日々を表しているのではないか。

「想いを寄せた人を思い出している」
#3 手紙(過去との会話)
これは『君を知らない』『ダンスホール』の2曲が込められているのではないか。『君を知らない』で忘れられない愛を引き摺る様子を、終盤の「君を思っていたい」から、『ダンスホール』からは忘れがちな愛をふと思い出しては心を保とうとする様子を序盤の「君が居るから愛を知ることがまた出来る」から要約していると考えた。

「びしょ濡れで怒りを放って」
#4 反射
劇中での激しく荒れている心境を表す様子からも伝わったように『ツキマシテハ』だと分かる。

「光を探している」
#5 愛という種
#1 マスカレイド にて「持ちきれない愛を探して」と言っていたが、ようやく愛が芽吹くための”何か”を掴んだのではないか。しかし、経験したことのない感情なうえ、目に見えないものであるから挿入歌『They are』より「”独りで寂しい”と君の前でおもってしまう」。掴んでいるけれど実感がなく、確かめ合えもしない感情に『Coffee』より「愛という恋とまた違う種を育まなきゃね」と想う。

「今日も人々はチグハグに愛している」
#5愛という種
これだけ異例で、1章を2フレーズに分けて綴っている。
前のフレーズの過程で『ニュー・マイ・ノーマル』より「恋をまた知って愛に怒られて」と、苦戦している様子がうかがえる。
けれども、行動しなければ苦戦することもないため、二つのフレーズに分けて成長していることを表したのではないか。
一本道ではなく、幾度も枝分かれしてはぶちあったってはしている”人”らしさを『PARTY』にて表現しているのではないか。

「青さのかけらを拾って」
#6 青さのカケラ
自分を成長することも大切だが、自分と向き合う時間も必要だ。特に高校生までは青春と大人とを行き交う忙しない時間。歩みを一度止めてみて、じっくり自分と向き合うときに悩みや苦しみに覆われたとしても全て捨てきったわけではないジレンマが『春愁』により描かれているのではないか。
同じく『Just a Friend』でも近いけど遠い距離が描かれ、青さのカケラを摘み取ろうとしている様子が伺える。
個人的にはどちらも摘み取れない世界線だと考えているが、歌詞では「拾って」とあってとあるので、摘み取れた世界線、いわゆるパラレルワールドではないだろうか。
ここから『Attitude』の考察は少し頭を悩ませたが、Cメロが”青さ”に値するのではないかと考えた。
自分と向き合う=エゴとして、自己を見つめなおすときの流れで『春愁→Just a Friend→Attitude』と一連の思考回路のようにも思えた。感情の波が大きい多感な青春期の表現にも思えた。

「華やかにステージを飾って」
#7 虚構と虚無
ここであら改めて大森元貴が置かれている場(白い部屋)について俯瞰的に見ているのではないか。『Feeling』1番の歌詞の最後より「試験のこのワンダーランド」とあり、白に包まれた不思議な世界が表現されている。私たちは、この場で、「試されている。」

ドアを開けたら、何かが変わるのか。
持ちきれない愛を探していた大森元貴がようやく答えに近づいた。
「私はきっと 愛されている。」

続く『ケセラセラ』の導入で藤澤涼架が告げたように「「劇場でしか体験し得ないことです。頑張っているあなたへのちょっとしたご褒美だと思って、存分に楽しんでください。私たちが、夢のような現実を、現実のような夢を、今日も贈ります」」

よって、The White Loungeは虚構のワンダーランドであることが分かる。けれども、これが夢のような現実で、現実のような夢だという。まさに、ケセラセラで出てくる「ツァラトゥストラ」のことだと思うが、まだ学び足りないのでここについては詳しく語れない…。

この2曲で虚構について語り、『Soranji』で虚無について語っている。青さのカケラで寂しさをどれほど感じたとしても「寂しさの甲斐は無い」と前章を否定するかのように披露される。
まあ、言うまでもなく『Soranji』はそんな曲ではなく、包み込んでくれるだと我らは知っているが。

虚構でも虚無でも、励まさなくても「我らは尊い。」と存在を認めてもらえるだけで、私は十分に生きることができる。
そういうメッセージを受け取った。

#8 僕の一部
初めとは違った雰囲気を纏い、告げる。

ドアを開けたら 何かが変わるのか
誰もが怯えて過ごしている
白い部屋には独りたち

このシーンでダンサーたちがいなくなっていたことから、やはり”「持ちきれない愛を探して」いる自分探しをする大森元貴を「独りたち」が後押ししてくれている”という考察が当てはまる気がした。

「終わりを始めた」
#9 終わりの始まり
最後に『フロリジナル』をもってきたことに大いに納得した。
歩き続けた先に愛に触れ、青さを纏い、自我を確立した。
そんな様子が曲から感じ取れる。

そして、大森元貴は言う。
「独りじゃないと 私を嗅ぐ」



ここまで考えがまとまったら、この後の歌詞の意味もより鮮明に分かってきた。

あきれるまでもなく全てが嘘で本当
いつの日か誰かが手を伸ばしてくれる
そう信じていた

僕も本当は大声で「助けて」と言いたいけど
嫌われたくはないから
今日も仮面でハートを隠して
心をしまっておくけど
このままじゃいけないことは分かっている

繰り返す間違いの狭間で生きている
時計は狂う
本当を見抜いて愛してほしい
もうすぐ我が儘は終わる

終わりに
まとめてみると、どれも「独り」や「愛」など関連した曲で劇が構成されていると感じた。劇というよりかは、大森元貴自身が如何にして生きてきたか、その断片を垣間見たような気がした。

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