感ずるまち”福井”の可能性

福井県民の特性である「知的・体力・貪欲さ」。これらが無意識的なベース価値であることを意識できたとき、「感ずるまち”福井”の可能性」が垣間見えるだろう。

【①幸せの実感】
「福井県が幸福度NO.1」という言葉はよく耳にする一方で、実感がない人が多数だろう。私が思うに、福井県民は豊かな自然も教育の質も運動することも既に揃えられているが故、当たり前として実感がわかないのではないかと考える。
私の高校時代の友達が、「福井には何もないから」「都会の方が面白いから」という理由で県外に出向いてしまった。
果たして、「都会に出ること=面白さ」に直結するのだろうか。
否、福井にも遂に進出したイオンのように、面白いものがあるから、何かがあるからそこに行くのだろう。

【②ものの作り手】
イオンも、私の趣味である映画も音楽も、これらは皆「人」がつくりだすものだ。よって、面白さの源泉は「人」だ。これに気づくことができるのは、物に溢れた都より、わびさびのような田舎が適しているのではないか。
しかし、これらの「人」を「人」たらしめる「感情」が生まれる土台(ベース価値)は人の源泉ることから、目に見えない。よって、気づくことが難しい。

【③きっかけづくり】
では、どうしたら”それ”に気づくことができるのか。
私の現時点でのこたえは「芸術」だ。
映画にしろ、音楽にしろ、芸術作品にしろ、これらはすべて「作り手の脳内の具現化」である。これらを見て、体感して、嗅いで・・・「感ずる」ことこそ気づきの一歩であると考える。

福井が良きまちだと、人が素晴らしいと感じるために、
まず、自分が何者かについて考察しようではないか。
他者の感情がこもった作品に触れるとき、自分に落とし込む流れがなければ
作品をただ眺めるだけになる。
作品から情報を得て、感受するために軸となる己を確立させる。

【終いに】
福井を舞台に人についてここまで語ることができる。
まだ言葉足らずで書ききれないことも多々あるが、
今回のふくまち大学で、これまで考察して書いて終わっていた作業にプラスして伝えることの楽しさを知った。
このきっかけを原動力に、21:00の講義後に家に帰って今日中にまとめようとパソコンと向き合っている。
というより、言葉と、自分自身と向き合っている。

私の拙い言葉で誰かの気持ちを前向きに動かせるように。

#ふくまち大学
#まちを伝える学科

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