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犬のワルツ

去年、実家で16年過ごした愛犬が亡くなった。

私が小学生の時にうちにやって来たその愛犬を、幼い頃の自分は、正直若干疎ましく思っていた。
うちの愛犬が元々よく吠える犬種であることも手伝って、元気な頃のその行動や性格は破茶滅茶だった。
私はしょっちゅう愛犬に噛まれた。足の指を噛まれ、足の親指?の爪が割れて大流血した時には、その後1週間ぐらいは愛犬に近づくことすら怖かった。

うちの愛犬は、従来の犬のイメージのような、尻尾を振って玄関まで出迎えに来てくれるようなタイプではなかった。
抱っこしろと言わんばかりに私のお腹の上に飛び乗ってくることもあったし、突然お腹を見せて撫でろとアピールしてくることもあった。
しかし、とんでもない気分屋なのか、撫でられて嬉しそうにしていた次の瞬間に、いきなり怒り出したりもした。

きっと、愛犬の中で「このポイントは嫌」というのがあって、そこに触れた瞬間に怒りが沸点まで急上昇するのだろう。
もしうちの犬が人間であったなら、相当扱いづらい性格であったように思う。

地雷が多く、いつ怒り出すかもわからないし、噛むし、そのくせ私か別のことに集中していたりすると、「構え!」とギャンギャン吠えてきた。


でも、私は一緒にいる年数が増える毎にどんどん愛犬を好きになっていった。
抱っこした時の毛の柔らかさ、無邪気に飛び跳ねていた時の可愛らしさ、よく怒っていたけど、笑った時は信じられないぐらい可愛くて仕方なくて、「何でそんなに可愛いの!?」と何度も当犬に問いかけたりもした。(もちろん愛犬は「?」という反応だったが)

愛犬は基本的にずっと元気だったが、白内障で目が白くなって、長年の歯磨き嫌いがたたり段々歯が抜けていき、足が悪くなって歩きづらそうになり、散歩の時にすぐ疲れて足を止めるようになっていた。

それでもずっと食欲は旺盛で、ニコニコとしていた愛犬を見てわたしも安心し、愛犬を両親に任せて私はオーストラリアで暮らし始めた。





最後に愛犬に会った時に、「これが最後かも」と密かに思った。
オーストラリアに住んでいる中で、時折愛犬の近況は親から聞いていた。
一昨年の冬の寒さは相当犬を弱らせたらしく、何とか冬は超えたものの、愛犬は目に見えて小さくなっていた。
昔はもふもふしていた毛も大分抜け落ちていた。

一時帰国中、私は何度も何度も愛犬を抱きしめた。
そして、オーストラリアへ戻る時、両親が空港まで私を送ってくれて、その車中、私はずっと愛犬を抱いていた。

最後に会った時から半年が経ち、そろそろまた一時帰国しようと飛行機を調べていた時に、親から愛犬の訃報の連絡が入った。





私がその訃報を聞き、家のソファの上でただ茫然としながらも、涙が一斉に溢れ出した時、彼女は何があった!?と駆け寄ってきてくれた。

「うちの犬死んじゃった」

その瞬間、彼女の目から大粒の涙を流れた。
彼女には愛犬のことを何度も話していたし、彼女も愛犬に会いたいと言ってくれていた。
彼女は、私にとって愛犬がどれだけ大きな存在であるかをわかってくれていた。
私達は抱き合って一緒に大泣きした。

あの時彼女が、私の家族を想って悲しんでくれたこと、泣いてくれたことは、ずっと私の心の中に残っていて、何度か私達が別れそうになった時に、その思い出は結論を引き止めるのに十分な程だった。


また、のちに私が私の母親に「彼女があの時に一緒にいっぱい泣いてくれた」と話したことで、それが母が私と彼女のことを認める一因になったりもした。






愛犬への愛は、愛犬のことを思うだけで、心がじんわり暖かくなるようなものだった。

そしてまた、「お世話をしてあげたい」というものだった。お散歩やトイレのお世話、体調が悪くなったら病院に連れて行った。

「そんなの飼い主として当たり前」と人は言うかもしれないが、私は自分がこんな自発的に献身的な行動を取れるなんて、思ってもいなかったのだ。

私は今まで、何か自分が苦労する局面になるといつも「どうして私がこんなことをしないといけない」と本気で文句を垂れていた。しかし、愛犬のことは積極的にしたいと思えた。

そして、そんな気持ちを犬以外の誰かに抱けたことがなかった。

それまでもお付き合いしてきた人はいた。しかし、私はいつだって、相手に恋はしていたけど、相手を愛してはいなかった。
自分の都合ばかり押し付けていたし、相手の気持ちを尊重したり、慮ったりはできなかった。いつも、「どうしてわかってくれないの?」という思いを相手にぶつけてばかりいた。


私の人生で、愛犬は、ずっと一番愛おしい存在であった。
私が「愛」という感情を最初に覚えたのは、間違いなく愛犬に対してであった。




そして、オーストラリアで彼女と出会い、私は初めて「誰か」に対して、愛情を持つことができるようになった。

彼女に美味しいごはんを食べさせてあげたいと、料理を始めた。掃除も洗濯もめんどくさくて嫌いだが、何とか人並みにできるようになった(これに関しては、マイルールがありすぎる彼女によくやり方を怒られるけど)
彼女をびっくりさせたいと思い、たまにサプライズでプレゼントを買ったりもしてみた。
びっくりして喜んだ顔が見たい思った。
彼女が辛い時は寄り添ってあげたいと思った。

今彼女とは離れて暮らしているが、彼女のことを思うと、たちまち私の心は暖かくなる。

「愛しい」「大切にしたい」そんな気持ちを教えてくれた愛犬、そして、彼女。

犬が亡くなった後、もちろん何度も泣いたし、なんならわたしは今でもよく思い出して泣く、何ならこの記事も書きながら一回泣いたが、
それでもわたしにとって犬はずっと大切で、わたしの心にずっと生きている。

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