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産まれてから歌うまでの事
おそらく、3歳~中学まで東京バレエ学園に通っていた事が音楽との始まりだと思うのだけども、ありがたい環境を理解せずに、かなりもったいなかった。コンクールにも何回か挑戦したけどいつも初戦敗退w レッスンも生ピアノだったり海外からダンサーの来日公演に子役で出させてもらった時にはオーケストラも一緒だったのにどんどん立ち位置が悪くなる事に、頑張ってもないから当たり前なのに、劣等感を育むばかりだった。でも、今(約40年後!w)フォホーダンスを踊ったり、歌う時にも、ぐっと踏み込んで高く舞うところや軸や重心、回転、着地、空間などのイメージ、今時流行らないけど…生爪剥がして血まみれで頑張る根性は影響していると思われる。
あとは、父がジャズファンで家でジャズ・ボサノヴァのレコードがかかっていた事も影響があると思われる。休日にビル・エヴァンスがかかると、「お、今日は気難しい父の機嫌がいい日だな」と思ったりした。UAが日本語詩で歌う「アントニオの歌」を聴いていたら
「アントニオって誰かわかってて聴いてるのか?」
とジョビンのCDを渡してくれたのは父で、次に「ゲッツ•ジルベルト」と続いてゆき、あぁ、幼少期に家で流れていた、あのダバダバしたのは(おいしい水の事)ボサノヴァって言うのかと、初めて認識したかもしれない。
ピアノは中学までは習っていて、バイエルを卒業して、ソナチネ、ブルグミュラーになりしばらくして難易度上がり部活が忙しくなり辞めてしまった。10年くらいはやったかな?
中学校ではテニス部、高校では通学が遠かったので帰宅部で以降は学生時代に音楽は全くしていないが、世の中はカラオケブーム。小室ファミリーが大流行していた。
歌うことは何より大好きで高校生の頃は時間があればカラオケに行っていた。自分では「安室世代」だと思っているけど、カラオケでは、UA、bird、EGOーWAPPIN’、Chara、ピチカートファイブ、椎名林檎 等を好んで歌っていて、後に歌を頑張ってみようと思い立った時にジャズを勉強しようと思ったきっかけとなった。
高校時代に通っていた予備校で仲良くなった浪人生たちが音楽好きが多く色んなカセットを作ってもらって受験時に勉強よりも音楽を聴いていたので成績も伸びずに大学は諦めて短期大学へ進学したw
その頃出会った音楽:ボブ・マーリー、グレイトフルデット、オアシス、ケミカルブラザーズ、ケンイシイ、Dee Liteなど。
この頃からラジオのチャート番組を聞くようになり自ら音楽を求めていくようになる。
短期大学に進学してからチアリーディング部に所属したら、踊ることが楽しい事をようやく自覚して、友人の紹介でHIPHOPのダンスも始めた。
この頃からどんどんHIPHOPにはまり最初は日本語HIPHOP(ライムスター、メローイエロー、リプスライム等)にハマって、渋谷Familyをメインにクラブに通い、彼らのインタビュー記事から洋楽も掘り下げるようになり、フジロックや来日ミュージシャンのイベントへ足を運ぶようになり、カフェアプレミディにも通ってコンピCDを集めて漠然と憧れていた。
あたしももっと音楽に近づきたい
ステージの向こう側に行ってみたい。
何故か人前出てきたけど、本当は苦手なのに、歌うことが大好きだったことからこの頃からふつふつと
想いは強くなっていったけども、まわりに音楽をする友人もいなく、
どうやって始めていいのかわからないでいた。
短期大学を卒業し、一般企業に就職、隣の課の課長に連れられて新宿2丁目に行くようになる、あたしを一人置いてタクシーで帰宅してしまう上司のおかげで、お客さんからリクエストをもらって朝まで歌うようになり、初めて知らない方に歌を喜んでもらう体験となり、ここからボイストレーニングとジャズ修行を開始する事を決意するが「ケイコとマナブ」を毎月購入してチェックしても、月謝も高く、時々体験レッスンに行っては考え込んだりしていた。
こう振り返ってみると、開始から25年たって
やりたい事があって実現出来る仲間がいる今は本当にありがたい。