結果と希望の行方
一 僕は前の職場で出会った山崎さんと会って、二時間程会話をした後、スターバックスに足を向け、窓と睨み合うカウンター席で持って来た文庫本に目を通していると、突然スマホから着信の知らせの振動が生じた。
山崎さんとは別の職場で出会った、島根さんという男性からの着信であり、店は通話禁止の為急いで外に出て応答ボタンを右の親指で押して、左耳にスマホを押し付けた。
「こんばんは。藤井君元気かい?」
「はい、ご連絡有難う御座います。」
「そっちの仕事の調子はどうだい?」
「相変わらず一番重ければ八百キログラム超えの飲料を指示されたロケーションに搬送して、倉庫内を隈なく歩き回っています。 幸い心身はまだ限界という訳ではないです。
ただ、僕にやりたくない仕事を押し付けている奴や、要領が良くて上に気に入られる振る舞いをしている一方で、人を選んで強く出る様な狡い奴に限って、ワーカー(作業員)からトレーナー(作業指導員)に昇進したり、リーダー(トレーナーより上)が気に入らない事が有る度に早退して、それを上役はお咎め無しという可笑しな始末の職場です。
まぁうちの職場は、他では不採用間違い無い奴等がトレーナーやリーダー、更にはもっと上のスーパーバイザーをしていますよ。」
僕は島根さんに、台詞に憤りと落胆を埋め込んで吐いた。すると島根さんは、
「いくら頑張っても藤井君は浮かばれないね。 以前スーパーバイザーより遥かに上の人が、人員余剰の日だけど藤井君だけは出勤して欲しいって聞かされたけど、それでも、評価が形になって報われてないみたいじゃない…?
君ももう30代半ばで、そろそろしっかり腰を定めないと…。」
こう言った島根さんは、三、四秒を間を空けて、
「ねー、どうだい⁉︎ 俺と店をやらないか⁉︎ 焼き鳥販売店なんだけど?」
と誘ってくれた、僕は一瞬の躊躇いもなく、ハイやります、宜しくお願いします、と勢いを帯びた返事をする。
二「藤井君、この商材の猫砂は重くて、俺は運べないから、代わりに三階のロケに運んどいてくれ。」
大谷というトレーナーが、やってくれるのは当たり前の様な口調で猫砂を左手でパンパン叩きながら押し付けて来た。トレーナーであれ、ワーカーと同じ様に商材を運搬するのかこの職場のやり方である。トレーナーは管理者とはいえ、ずっとパソコンと向き合ったりするという訳ではないのである。
大谷は女の平均よりも小さい小男で筋力が無い故、他人にやらせるのだろうが、にしてももう少し悪いけど頼めないかという申し訳無さそうな、顔や口調にしてもいいだろうと僕は思った。
しかし、軈ては僕の最大級の理解者味方である、島根さんとコンビで仕事が出来るという楽しみで、人任せのみならず、自分の立場を弁えない振る舞いばかりの大谷への嫌悪や反発を完全消化出来た。
別の日に、僕がスーパーバイザーからの指示で、業務用具の籠を運んでいると、その最中に知川というトレーナーと通路でバッタリ遭いすかさず僕に、
「藤井君。その籠は商材を入れるから使わせてくれよ。」
と頼んで来た、
「あの籠は、スーパーバイザーに運べと頼まれました。」と返すと、忽ち知川は不満気とも面倒臭そうとも判らない、歪んだ表情を作り、
「そんな事は分かってるさ。でも、君がスーパーバイザーに許可を貰って来てくれよ。」
と言って来た、僕は知川の方が上故に、どうしても納得出来無い気持ちを胸にしまいながら、スーパーバイザーに籠を使いたい旨を申し上げ、許可を受けた。
知川は、ある人に対しては大人且つ紳士的な接し方、その一方である人に対しては強く出て、一方的に要求をぶつけてくる男だ。 僕に言わせれば、知川は職場の人間の中で最も面倒で一筋縄でいかない部類に入るのである。全く始末におえない…!
職場の中で比較的良質で、耳を貸す姿勢を持つリーダーに知川に言われた話をすると、
「籠を使いたいなら、スーパーバイザーに知川さんが頼まないと。 藤井さんは藤井さんで指示された仕事をしているんだから、横から注文するのは筋違いよ。
もう相手にしなくて良いわよ。」
と返して貰えた。こんな低質な管理者揃いの職場でも、まだどうにか良質な管理者が残っていた様だ。
尚、職場は「何でも有り」という、体質と言えば良いのか、空気と言えば良いのか、そんな要素が蔓延しているのも、理不尽に苦しむ人がいる一因である。
三 三月のある日、職場の昼食休みにカフェテリアみたいな食堂で、椅子に腰を下ろし、スマホを取り出すと、島根さんからメールが来ていた。内容を確かめると、
「藤井君おはよう。 焼き鳥販売店のスタートは四月頭の予定だったけど、今やっている店の閉店が延期になったんだよ。だから俺達は六月十五日頃に延びるな。今の店が閉まってから、俺達の店がスタート出来るから。
それまで、滅茶苦茶で辛い職場だと思うけど引き続き頑張ってね。」
というものだった。僕は、かなりの落胆に胸が地面に引き下がる感覚を覚えた。そうである、また注文を押し付けられるのもさることながら、散々これまで出会したリーダー同士の板挟みや、セクションの盥回しを強いられる期間が追加されてしまったのだ…!
直ぐに、この職場は今月末で辞める決断をして、会社には知人がお店を開店させるからそこへ移ると告げた。
四 幸い職場を変える事が出来て、相模原市の物流センターでエープリルフールから働く事になった。
仕事は、お茶やジュースの入った車輪付きの籠をひたすら搬送する肉体をかなり泣かせるものであるが、先月までいた狭山市の倉庫とは違い、朝五時前に起床する必要もなく、既に入ってひと月だけど、今の所仕事を押し付けてラクをしようと考える奴や、人を選んで強制的に注文して来る奴には出会していなくて助かっている。
しかし、島根さんとお店をやれるという、明るい楽しみな予定が控えている為、精神面で遥かにラクでも、職場に対して何の想いも無いという点は、先月までの職場と同じなのだ。
給与が出ると、僕は島根さんの口座に二万円を振り込んだ。これは店の運営資金で、実は月給を貰う度に入金していた。尚、振り込みは僕が島根さんと一緒にする仕事への志しの表しでもある。
振り込みが済み銀行出張所を後にして、駅を南北に縦断してカフェに入り文庫本に目を通していると、島根さんから電話が飛び込んで来て、店外に出てから応答ボタンを押した。
「やあ、藤井君入金有難う! こっちはこの間話した通り、健康診断を受けて、結果を知らされたんだけど、どうやら血便が見受けられたから、大腸を精密検査するという事で、食いたいのを我慢して空腹状態にしてから、肛門にカメラを押し込まれて、長々チェックされたよ。
来週に結果宣告されるんだ、仮に良性腫瘍とかなら、切除すればその後は特に問題は無いんだって。」
「あの…島根さん。仮に入院とかになって、六月に開店出来なくても、やりますか?」
「勿論さ! 大腸のご大層な検査をしたけど、別に俺は体に只事じゃない異変を感じる訳でないし。もしも、断念という最悪の決断なら、速やかに藤井君に連絡するよ。 勿論、今まで預かってある振り込んでくれたお金を返すから。」
僕は、当然お金は返されない様にと胸で呟きながら、
「ご無事であるという報告を期待しています。僕は、本当に二人で瑞江で仕事したいですから! さようなら。」
と島根さんに伝えた。
通話を終えて、カフェに舞い戻り文庫本を読み直したが、どうしても胸騒ぎと懸念を消化し切れなかった…。
懸念から目を逸らす為に、カフェから出てJR横浜線の八王子方面に向かって歩く事にした。
頻りに私を追い抜く或いはすれ違う、電車の生むけたたましい走行音に、耳が困惑して、五月には相応しくない冷たい風に晒され寒い想いをしながら、島根さんの診断結果を想った…。
ふと僕はズボンの膝ポケットに入れたスマホを取り出して、島根さんに、
「先程は通話出来て良かったです。有難うございました。 良い結果だと良いですね.絶対に2人でやりましょう!
正直に申して、一度最大級の理解者 味方に、誘われたらもう、それ以外の特別な想いや縁も無い人々との仕事なんて、考えられないし、到底適応出来ません…!
最後に私から代替え案です。万一お店という格好の仕事が厳しいという話になったら、それ以外の仕事の方法を練りましょう。
それでは、また宜しくお願いします。 藤井真司」
とメールを送った。メールの送信完了のサインを見届けて顔を上に向けると、もう新しくない団地が聳えて構えていた。何だか、その静寂を漂わせ沈黙を貫く団地は、島根さんの結果と、僕の希望の行方を、まだ光闇が見え兼ねると無言で伝えている様だった…
完