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35年分の想いを
ボクは兵庫県西宮市で産まれました。
母親の実家が甲子園から徒歩10分でした。
物心ついた時から、「黄色い虎の野球チーム」は、おばあちゃん家に溢れかえっていて、おばあちゃんからは、「この黄色い方を応援するやで。勝ったらえぇ歌歌えるから。」と、いつも百貨店の紙袋満タンにメガホンを入れて、ボクたち孫を甲子園球場に連れていってくれました。
甲子園へ行く道中、従兄弟のお兄ちゃんの自転車の後ろに跨がって浴びた浜風は、今でも鮮明に覚えています。
しかし、幼い頃その、「えぇ歌」をあまり歌った記憶はありません。
幼いながらにその、「黄色い虎の野球チーム」は弱いチームなんだと言うことがわかりました。
なので応援したら勝つと信じて、僕たち孫は精一杯メガホンを叩いて応援していました。
当時の甲子園球場は本当に汚くて、席の足元には食べさし飲みさしのゴミが溢れかえっていました。
昔、売り子のアルバイトをしていた母親からは、「かちわりは汚いから食べなや。」と言われていて、それでも夏の暑い日は従兄弟たちと隠れて食べていました。
案の定、お腹が痛くなって大便のドアノブの掴んだところで間に合わず、いっぱいウ◯チを漏らしてしまいました。
球場の外で母親に「ほら見てみい。」と怒られながら甲子園球場の外でパンツを履き替えさせてもらったのは良い思い出です。
「この背中に18って書いてるヤブさんのときは勝つかもしれんから応援しい。」とおばあちゃんに言われて応援しても、ヤブさんが機嫌悪そうにベンチに戻る姿を何度も見ました。
ブロワーズ、ジョンソンという外国の人がボールを遠くに飛ばしているのを何度も見ました。
それでも「黄色の虎の野球チーム」は勝てませんでした。
少し僕も大きくなり、チーム名が【阪神タイガース】だとわかるようになった頃、
「ノムラさんが監督になるからこれから阪神強なるで。」とおばあちゃんに言われ、ノムラさんはそんな凄い人なんだと期待に胸を膨らませていました。
でも結局、【ええ歌】はあまり歌えませんでした。
遠山・葛西で、ゴジラこと【松井秀喜】を三振に取る姿をおばあちゃん家の近くの銭湯で見て、
「またピッチャーとファーストぐるぐるしてるでー」と笑いながらフルーツ牛乳を飲みながら50円のインベーダーゲームをしていました。
すでに僕たちにも負け癖が付いていて、応援することもなくなっていました。
僕が中学生になったころ、阪神タイガースはゴロッと変わりました。
【星野仙一さん】が監督になり、広島から【金本さん】が来ました。
この頃から、【六甲おろし】を歌える日が増え、
2003年、ついに阪神タイガースはリーグ優勝しました。
9月15日。ちょうとこの日は地元のお祭りの最終日で、出店のおっちゃんがダンボールにスコアを書きながら応援していたのを今でも覚えています。
今岡赤星金本桧山アリアス・・井川
これは日本一もあるぞ!とまわりの阪神ファンはみんな言っていました。
ですが、そのときも福岡ダイエーホークスに最終戦までもつれた末敗れ、日本一にはなれませんでした。
2005年に前年から指揮を執っていた【岡田さん】が2年ぶりのリーグ優勝に導いてくれました。
こんな短スパンでリーグ優勝があるのか!と思っていました。が、このとき僕は人生最大の多忙期で阪神タイガースが優勝したことを、夜のランニング中に知りました。
日本シリーズも千葉ロッテマリーンズに、4戦全敗。
あの有名な、33-4です。
それから阪神タイガースは優勝から遠ざかります。
藤川さんが中日ドラゴンズのタイロンウッズさんにホームランを打たれて、岡田さんと藤川さんが号泣したり、
アメリカから西岡さんや城島さんが阪神に来て、みんなが打点100だったり、、、
気づけば、僕が中学の頃選手だった人たちが、ベンチで大きい背番号を背負って指導している姿を目にするようになりました。
更に気づけば、優勝から18年が経過していました。
僕も結婚をし、子どもが2人と、当時と環境がガラッと変わり、毎日阪神タイガースを観ることができなくなってしまっていました。
そんなとき、2022年オフ。
最後のリーグ優勝を見せてくれた岡田さんがまた監督になることになりました。
岡田さんももちろん僕と同じく年を重ねていましたし、岡田さんが阪神タイガースを退団したあとオリックスバッファローズで指揮を執っていたときのことを考えると、「大丈夫か?」というのが本音でした。
新戦力もいない、優良助っ人外国人もいない。
かなり不安でしたが、岡田さんが前監督と変えたのは、打順と守備位置でした。
これが本当にハマり2023年、、、
気づけばマジックが点灯し、優勝が目前となっていました。マジック1、、、9回オモテ、、
甲子園球場に「栄光の架け橋」が流れました。
この年の7月に天国へと旅立った、阪神タイガース、横田慎太郎さんの登場曲でした。
この瞬間から、ボクは知らぬ間に号泣していました。
優勝の瞬間は涙を拭うのに必死であまり見れませんでした。
その後日本一にもなり本当に生きている内に優勝が見られて良かったなって思いました。
先日、優勝してから初めておばあちゃんに会う機会がありました。
久しぶりだったので、近況報告等の世間話をしていました。
ボクも話に夢中ですっかり忘れていたのですが、
話が一息ついたとき、、突然おばあちゃんが、
「おめでとう。これ当時の。」
渡してくれたのは、幼い頃ボクたちが使っていたメガホンでした。
おばあちゃん、優勝おめでとう!