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青春18きっぷ夏その4碓氷峠鉄道文化むら

さて、五枚綴りの青春18きっぷも残りあと一回分となりました。日帰りという制約の中でどこに行けるだろうと考える日々。とはいえ、コンパス時刻表や乗り換えアプリなどと睨めっこしながら、ああでもないこうでもないと考えるのはとても楽しい。「鉄」の中には「時刻表テツ」という方もおられるとか。その気持ち、わかる気がします。乗り継ぎを無駄なくしかも余すところなく行程を決められたらそれが既に『旅』なのです。それだけで満足してしまいます。
でも、私はやっぱり実際にそれを実行したいかな。手元に18きっぷも残ってますからね。
買ったばかりの鉄印帳も集めたい…。でも第三セクターは18きっぷでは乗れません。それで色々と考えた末、最後の一回は横川、碓氷峠の鉄道文化むらに行こうと決めました。
碓氷峠はあまり鉄道の歴史に詳しくない私でもその名前は知っていました。とても勾配がきつい峠を登るために、歯車のようなものを噛み合わせて坂を登っていったということもざっくりとですが知ってはいました。でも、あくまでもざっくりとしか知らなかったので実際行く前に色々とお勉強してから行くことにしました。
まず66.7‰(パーミル)というたいへんな急勾配を登ったという事。そして66.7‰とはなんぞや?というと1000メートルで高低差66.7メートルという意味なんですね。そりゃきついわ。そして、今では横川が終着駅ですが、昔は軽井沢まで伸びていた事。これは廃線になった時、ニュースで見たような記憶があります。その時にアプト式のラックレールの事も知ったのかもしれません。

さて、常磐線で上野まで行き、高崎線に乗り換えます。そういえば今回の18きっぷで高崎には3回も来ていました。それくらい高崎は乗り換えの多いターミナル駅なんですね。便利でいいなぁ。
高崎で信越本線に乗り換え予定でしたが、この日は群馬県でゲリラ豪雨があり、列車が大幅に遅延していました。一方、常磐線は通常運転でしたので上野で予定の高崎線が一向に来ない…というアクシデント。
乗り換えアプリを見ると13番線ホームから次の列車が出るという事でしたが、13番線ってどこ?(乗るはずのホームは6番線とかのはずだった)
上野駅はよく来ていて知っているつもりが13番線を探すのに一苦労してしまいました。後で考えると昔東京上野ラインではなかった頃、常磐線はこの端っこのホームに入線してましたね。今では昔の記憶です。
そしてすし詰めの高崎線がその13番線に入線してきました。1時間くらい遅れたそうで、降りゆく人たちの顔が怒っていました。例によって『お出かけする休日のおばさんスタイル』の私には冷たい視線が降り注ぎます。だからシフト制なんだってば…。
この日もグリーン車で高崎まで行きました。下りグリーン車両は空いてて快適です。
高崎で信越本線に乗り換えだったのですが、遅延により乗り継ぎがうまくいかず、一本後の列車になってしまったので高崎の駅ナカでお土産などを見てまわる事に。そしてあまりにも時間が余って退屈でしたので職場へのお土産を先に買っておきました。ガトーフェスタハラダのラスクです。これなら持っても軽いですもんね。おいしいし。
そして高崎から信越本線に乗り横川に到着。

終点の横川駅

こじんまりとした駅で他に降りる人も数名。横川といえば『峠の釜飯』です。ホームからも買えるみたい。ホームからも駅舎の外側からも買える構造でした。

昔は担いで手売りしてたんだろうなぁ

さて、鉄道文化むらは降りてすぐなので改札を出て向かいます。
他に降りた人もみんなそこに行くのかな?と思っていたらそうではなく、バスに乗り換えて軽井沢に行けるんですね。ほとんどがバスに乗り換えて行ったようでした。

廃線跡のレールが文化むらまで続く


その歴史を惜しむかのように、今でも廃線跡のレールは残されていてなんだか胸熱。レールの先には文化むらが見えます。昔はここを走っていたのですよね。まっすぐ正面に峠の山々が見えます。トンネルもあるにせよ、あれを登ったのかと思うとそりゃ大変だよねって思います。
入園料700円を支払っていざ鉄道文化むらへ。

シミュレーターなどがありました
国鉄カラーのあさま号も


とても広い敷地にたくさんの列車が現存されていました。あさま号のヘッドマークの上のVの字のやつとか、見覚えがあるなぁ〜(すみませんあまりそういった知識がないもので…)なんて思いつつ、ひとつずつ見てまわりました。
そして、昔の乗務員室などの建物なのでしょうか、そこに歴史館がありました。

年表を見ると104年もの歴史が!
実際に使われたラックレール

この横川・軽井沢間は本当に険しく、66.7‰の急勾配と闘った歴史が詳しく展示されていました。事故や災害などもあり、殉職者もいらしたそうです。合掌。

最大68‰も⁈
電化してからのシェルパ役EF63

蒸気機関車だった時代から電化した後も、この急な勾配と周りの自然の過酷さと闘う日々だったことが伺えます。

廃線は1997年だそうです

実際に廃線になったのは1997年だそうで、わりと最近だなと思ってしまいましたが、それは自分が半世紀以上生きてるからであって、若い人たちにはずいぶんと昔なのでしょう(汗)
軽井沢には子供達が小さな頃に家族旅行に行きましたが車で行きました。その頃はもう廃線だったですけどね。
あとは新幹線が通ってそちらの方が便利になったからというのも納得です。
しかし、この大変な区間を働いた方々は、嫌々ではなく、むしろこの難所を安全に運行させる事に誇りを持って働いていたのだとありました。素晴らしいことですよね。誇りを持って働いていらした方たちのおかげで安全に軽井沢まで列車は走っていたのです。104年も。本当に頭が下がります。
一通り資料館を見て終わり、外の車両を現存して展示しているところへ行きます。まず最初に見えるのはやっぱりこれですよね。

ピカピカです。大切にされてるのね。

観光列車で今でもSLに乗れるところもありますが、実際見ると迫力があります。ヘッドマークが999(スリーナイン)です。

さっき資料館でみたEF63だ!

雨ざらしだから痛んでしまうのも早まってしまうのでしょうが、それにしてもどの車両も磨いてもらってるのでしょう。古いながらも汚れは落とされています。近くで車輪のあたりを見るとアプト式の歯車が見えました。他に粘着式とか色々とあるそうです。あまり詳しくなくてすみません。

食堂車もありました


ひとつずつゆっくりと説明書きを読みながら見て行きます。食堂車なんてあったりして。そういえばお腹空いたなぁと思い、先ほど通りかがった売店に戻りました。
実はこの日、家族にここ碓氷峠に行くとあらかじめ言ってあったので、お土産は『峠の釜飯』がいいと言われていました。ですからお昼は釜飯以外のものにします。流石に昼も夜もというわけにはね。

売店といえばたこ焼きです

この日もとても暑くて、売店ではラーメンなどもありましたが、たこ焼きにしました。かき氷もあったけど帰りの電車でお腹の調子が悪くなると困るのでやめておきました(冷たいものに案外弱い)。
そしてもう一度ぐるりと見てまわり、横川駅に戻る事にしました。

廃線跡を歩いていくウォーキング・トレイル

来る時は気が付かなかったんですが、廃線跡を歩いて行けるんですね。
土日はトロッコで廃線跡を辿って日帰り温泉「とうげの湯」まで行けるみたいです。その傍に遊歩道もあるんですね。あいにく平日でしたのでトロッコはお休みでした。有名な「めがね橋」などもこの道の先にあるんですね。
『碓氷峠、ここに鉄路あり』
昔の人々が大変な労力でここに線路をひいて蒸気機関車を走らせ、物資の輸送や乗客を乗せていた歴史をお勉強できました。

最後にこの景色をしっかり見ておこう

もう一本後の列車で帰る予定でしたが、天気予報ではゲリラ豪雨の予報が都内で出ていました。このところちょくちょくゲリラ豪雨で遅延したりしているので早めに帰る事にしました。
帰りに釜飯を買おうと駅に行きましたが、あいにく売店の分は売り切れだそう。本店に行くとありますよと言われたけど時間がない…。そういえば高崎で時間を潰した時に高崎でも峠の釜飯は売ってた!と思い出し、とりあえず折り返しの列車に乗りました。そして無事に高崎で今日の晩御飯になる峠の釜飯を買い、帰路についたのでした。
そしてやはり、上野に着く頃には品川でゲリラ豪雨になっていて、山手線が止まってしまいました。幸い、上野乗り換えでしたので無事に帰れました。でも、それの影響なのか、取手・藤代間は徐行運転になっていました。おそらくデッドセクションを通過するためだったのでしょう。いつも通過する時に慣性の法則で走るのはわかるのですが、ここまでゆっくり走るのは初めてでした(13分ほどかかりました)

これで今年の夏の青春18きっぷは無事に使い切ることができました。
わりとグリーン車に乗ってしまったので実は結構お金はかかってしまっているのですが、それにしても元はしっかり取れていますし、このきっぷのおかげで「出かけよう!」という動機になったわけです。楽しい夏の旅の思い出となりました。
18きっぷ、来年も発売してほしいですね。



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