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昭和のクリスマスケーキと私
今回は鉄道とはまた別の『日々の徒然』を書こうと思います。
「徒然なるままに」でお馴染みの吉田兼好の「徒然草」にあやかった、いわば随筆といったところでしょうか。まあ、そんな大層なものではありませんが、たまに書いてみたいと思います。チラシの裏の散文程度ですがお付き合いくださいまし。
で、今回のタイトルは『昭和のクリスマスケーキと私』です。
ところで、人の記憶というものはとても不思議なもので、記憶に他の五感が合わせて閉じ込められていることが多いですよね。
代表的なものとしては、記憶と音楽です。カーペンターズの曲にもあるようにその曲が流れるとその当時の記憶が鮮やかに蘇る…というもの。聴いていた時の場所や風景、気温やなんかも一緒にぶわ〜っと蘇ることがあります。ふとした拍子にあるきっかけ(味覚や嗅覚など)で記憶が蘇る、そんな経験は誰にでもあるのではないでしょうか。記憶と五感は密接な関係があるのですね。
ところで、少し話はそれますが、昔食べていたものを令和の今になって食べてみたくなるなんてことが私のように半世紀以上長く生きていると時々あるのです。私の子供の頃は今よりも様々なものの規制が緩かったので、合成着色料がたっぷり入ったお菓子やら果汁が全然入ってない薄いジュースなどが売られていました。そういったものは令和の今では逆に探しても売っていなくなりました(具体的な商品名をあげるわけにもいきませんのでその辺はふせておきましょう)
そんな『昔はよく売られていたのに今ではなかなか売っていないもの』に、バタークリームのクリスマスケーキがあります。
これは常温で置いておけるケーキで、私が子供の頃は駅前やスーパーの店頭でサンタクロースの服を着たアルバイトさんが寒空の下、大安売りしているものでした。今出回っている生クリームのケーキではありませんので冷蔵する必要はないそのケーキは、生クリームではなくバタークリームでデコレーションしてありました。とはいえ、バタークリームと言っても本物のバターなどではなく、マーガリンかショートニングか、とにかく植物性の油脂と準チョコレートなどで作られたクリームで、スポンジの方はカステラに近い水分が少なめのものに杏ジャムなどを挟んだものでした。そしてケーキの上にはチョコレートでできたお家と砂糖菓子のサンタクロース、食べられないツリーの形のプラスチックの飾りに、Merry Xmasと書いてあるチョコプレートが乗っているのがお決まりでした。
これは今はなかなか店頭では売っていません。なぜか。『売れないから』です。昔と違って今のケーキはスーパーやコンビニで売られているケーキでも有名パティシエが監修したり、個人店であっても冷凍して宅配するなど美味しいケーキが手に入る時代です。そんな時代にわざわざそんな昭和のケーキを売っても売れません。
前にも何度か書いてますが、私はスーパーで日配の担当をしています。毎年店頭で売られるクリスマスケーキの発注も担当しています。その中に実はその「バターケーキ」も取り扱っているのです。これは担当することになって知り、「まだ売ってたんだ!」と驚きました。しかし、これを店頭に並べてもおそらく売れないであろうと言うことで毎年発注はしませんでした。
しかし、時が経つにつれ、この言わば『幻の昭和ケーキ』をどうしても食べてみたくなりました。ちなみに私の子供の頃(記憶にあるのは未就学くらいから中学くらい)まではこのケーキがよく売られていましたのでざっと40〜50年ほど前になります。あれから半世紀経ちましたので、味などは変わっているのだろうかと興味がありました。そして、昔の生ケーキのあまり流通していない時代に喜んで食べていたあの懐かしい味をできるならもう一度食べてみたいと思うようになりました。しかし、言ってはなんですが今売られているケーキと比べると味は劣ります。そして何よりサイズが大きい!6号サイズです。6号というとφ18センチになります。うちの家族はこれを食べるかと言うとおそらく食べても一切れくらいでしょうから270度くらい食べなくてはならなくなる可能性が高い。なかなかにハイリスクです。いくら懐かしいとはいえ毎年悩んでは諦めていました。
しかし、時が経つにつれどんどん興味がわいてきてなにがなんでもあの味をもう一度食べてみたくなり、ついに去年ですが、「必ず私が責任を持って買い取りますのでひとつだけ発注させてください」と店長に許可をもらい、発注し取り寄せることにしました。ホワイトとチョコレートの2種類ありましたがチョコの方にしました。昔、うちではチョコの方をよく買っていたからです。そんなこんなである意味職権乱用かもしれません。店長には「物好きだねぇ(笑)」と言われました。まあ、確かにそうです、物好きです…。
そして、発注は11月の上旬でしたので、まるまる1か月、そのケーキが来るのを待ちました。数年間、さんざん迷った挙句の決断でしたので待ちに待った、そういった感じでした。ちなみにお値段は安いです。2500円くらいでした。賞味期限は長くて常温でも7日くらいは持つというとんでもないシロモノ(ちなみに生ケーキは入荷して次の日が賞味期限です)。だからこそ今ほど物流がよくない昭和の時代に大量に売られていたんでしょうね…。
さあ、そして、クリスマスの繁忙期を終えた最終日の25日にいよいよ実食です。ちなみに24日は通常の予約パンフレットからパティシエ監修のケーキを予約してあったのでそちらを食べました。
前日に食べたケーキは美味しかった。うちのスーパーのオリジナル商品ですが文句なく美味しい(宣伝)。さあ、ではこの昭和の懐かしい思い出のケーキはと言うと…。
もぐもぐ…
口に入れたその瞬間、生まれ育った家の食卓のちょっと薄暗い電灯の灯り、石油ストーブの上にのせられたヤカンから立ち登る湯気や、同じ食卓でクリスマスなのに祖父母はなぜか湯豆腐を食べているその鍋のにおい、母が作った骨付きの唐揚げやなんかが乗った食卓などの記憶がうわ〜っと怒涛のように押し寄せてきました。
イッツ ア イエスタデー ワンスモア(あえてカタカナ表記)
(な、懐かしい…。)
(…しかし、かわってないな、この味…)
次々と思い出すのは終業式の日に帰りに配られたクリスマスケーキ(1ピース)、子供会で配られたクリスマスケーキ、26日に忘年会帰りの酔っ払った父が半額で買ってきた白い方のクリスマスバターケーキ…。思えば嫌と言うほどあの時代はこのケーキだった。「またお前か…」そういう感じだった。街のケーキ屋さんで買うケーキは滅多に食べられなかった。そうだ、そうだよ…。なんで忘れていたんだ。これが嫌でわざわざ駅前まで寒い中自転車こいで生クリームデコレーション買いに行ったじゃないか高校生の頃…。
そうなんです。どうしてみんな買わなくなったのか。今のケーキの方が断然美味しいから、なんでした。忘れてしまっていました。
でも、懐かしい味はまだ令和の今でも残されていると言うことは、同じように「食のイエスタデーワンスモア」を求める人が後を絶たないからなのでしょう。
こうして、思い出の味に再び出会うことができました。
ちなみに娘にとっては初めて出会う未知なるケーキであったようです(受け入れてはもらえませんでしたが)旦那さんも一切れで「懐かしいけどもういいや」って。
そして最初に心配していた、残り270度のバターケーキを私が責任を持って食べるという結末になったのでした。
そしてその後増えた体重を戻すのに苦労したのでした…。
教訓『思い出は思い出のままが良い』