台湾でもまだまだ、暑い日が続いております。日本の皆様、お体ご自愛下さい。
私は昭和の終わり頃に、営業事務として商社で働いていました。そのころの仕事術で昭和と令和との違いを書いています。
昨今の日本では、日焼けをしたいという女性は少数派だと思います。
昭和の女性の日焼け対策を思い出してみました。
まず、昭和5年生まれの私の母は、毎日、基礎化粧品のみ使用していまいした。普通の固形石鹸で顔を洗い、化粧水と乳液だけのお手入れを朝と夜に行っていました。日焼け止めローションを塗っているところは見たところはありません。
私も、高校を卒業するまで、肌の手入れは、洗顔のみでした。日焼け止めローションは使っていません。しかも恐ろしいことに、高校を卒業後に、海に行ったときは「サンオイル」を使っていました。自分から、好きで日焼けをしていました。知識がないということは本当におそろしいですね。日焼け止めローションを使い始めたのは、昭和61年頃、つまり働きだしてからです。
OLとして働きだしてから、友人と海に行ったとき日焼け止めローションを塗り忘れました。日焼けが酷すぎて、皮膚科のクリニックのお世話になりました。それ以来、夏は、化粧下地の代わりに「日焼け止めローション」使っています。令和になった現在は、1年中、「日焼け止めローション」のお世話になっています。それでも頬骨あたりに「シミ」が出てきたので、若いころの日焼けがいかに悪いか証明されました。
昭和の日焼け止め対策はこのようになりました。
日焼け止めローション
帽子
日傘
平成になってから、目の日が続いております。日本の皆様、お体ご自愛下さい。
私は昭和の終わり頃に、営業事務として商社で働いていました。そのころの仕事術で昭和と令和との違いを書いています。
昨今の日本では、日焼けをしたいという女性は少数派だと思います。
昭和の女性の日焼け対策を思い出してみました。
まず、昭和5年生まれの私の母は、毎日、基礎化粧品のみ使用していまいした。普通の固形石鹸で顔を洗い、化粧水と乳液だけのお手入れを朝と夜に行っていました。日焼け止めローションを塗っているところは見たところはありません。
私も、高校を卒業するまで、肌の手入れは、洗顔のみでした。日焼け止めローションは使っていません。しかも恐ろしいことに、高校を卒業後に、海に行ったときは「サンオイル」を使っていました。自分から、好きで日焼けをしていました。知識がないということは本当におそろしいですね。日焼け止めローションを使い始めたのは、昭和61年頃、つまり働きだしてからです。
OLとして働きだしてから、友人と海に行ったとき日焼け止めローションを塗り忘れました。日焼けが酷すぎて、皮膚科のクリニックのお世話になりました。それ以来、夏は、化粧下地の代わりに「日焼け止めローション」使っています。令和になった現在は、1年中、「日焼け止めローション」のお世話になっています。それでも頬骨あたりに「シミ」が出てきたので、若いころの日焼けがいかに悪いか証明されました。
昭和の農家のおばあさんは、顔に「シミ」のある方が多かったです。
日焼け対策なんて、知識もなかったし、やってられないくらい忙しかったと思います。令和の農家さんは、日焼け対策ばっちりです。ホームセンターに農作業用の日焼け対策衣類も販売しているので、安心ですね。
昭和の日焼け止め対策はこのようになりました。
日焼け止めローション (種類も少なかった)
帽子 (つばの広い麦わら帽子を使っていました)
日傘 (雨傘と兼用でなく、ただの日傘です)
平成になってから、目も日焼けするということで、「サングラス」
首を保護する「スカーフ」最近はひんやりするタイプもありますね。
UV効果のあるシャツやパーカー
現在では、暑くても長袖のカーディガンなりシャツなりを羽織っています。
OLとして会社に通っていたころは、半そでのブラウスで、長袖の衣類を羽織るなんで考えもしませんでした。
顔に出てくる「シミ」で、地球温暖化が進んでいるのが理解できます。
サポートしていただけたら、とっても嬉しいです。昭和の文化をとことん、語ってみたいと思います。昭和のOL仕事についてお知りになりたいことがあれば、コメント下さい。noteでお答えいたします。