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私は昭和の終わり頃に、営業事務として商社で働いていました。そのころの仕事術で昭和と令和との違いを書いています。

私は、現在5X歳です。もう半世紀以上生きてきました。働き始めた昭和61年と令和2年の現在で、生きていくのに大切な「もの」を考えてみました。

本音で申し上げます。

愛とか友情とか、家族や友人などという「こっぱずかしいもの」は、省きます。家族や友人はともかき「愛と友情」で、食べていけるのはシンガーソングライターくらいです。

昭和の時代 我が家の場合

私の父は、「まず手に職をつけろ」を言っていました。父の勧める職業は「美容師」、「理容師」です。技術があれば食べるに困らないというのは昭和一桁生まれの考えです。同じような仕事に料理人(調理師)もありますが、女性の料理人は少なかったので、生きていくために「美容師の資格」が一番大切な「もの」でした。

私が生まれた昭和40年代以降は、「学歴」が生きていくうえで、大切な「もの」と言われていました。大学に進学する人が今よりずっと少ない時代です。大卒の「学歴」は就職するのに役に立つ大切な「もの」でした。

家とか土地とか

かつて、結婚→子供→家購入が幸せへの道とされていました。持ち家は、人生で大切な「もの」だったのです。

バブル時代に入ったとき、土地の値段が,高騰しました。不動産業者は「今、家を買わないと、2度と買えませんよ」という売り文句で、たくさんの人に、駅から遠い住宅団地の一戸建て住宅を売りました。現在は、価格も下がり、なかなか売れない状況です。地方の住宅は、よほど環境の良い場所でないと買ったときより高い価格では売れません。売れなくて困っている住宅もあります。

絵画、アート、骨董品

平成の人気テレビ番組「開運なんでも鑑定団」で壺や皿などの骨董品、絵画などが高額の評価を受けていました。アートと骨董品も投機の対象でした。現在は、販売価格の大幅な下落で、よほどの目利き以外は、あえて購入しようとはしません。子供や孫に残す財産として、不向きな「もの」になりました。

令和 私が思う大切な「もの」

大切な「もの」それは、「現金」・・・・・では、夢がありません。
お金を儲けることができる「もの」が大切だと思っています。

現在は、世界各国で入出国制限が設けられていれ、気軽に海外に行けませんが、昨年まで海外転職サイトで、「美容師」と「和食の料理人」の求人募集をたくさん見かけました。どちらの職業も日本での経験の他に、日常英会話のスキルが必要でした。英会話のスキルを除けば、私の父が推していた職業「美容師」が日本人が世界で活躍できる手っ取り早い職業になります。半世紀過ぎて、昭和の人の考え方が見直されてきたのでしょうか。

まとめ

「料理人」も「美容師」も海外で活躍するには「英会話のスキル」が必要です。今後、日本人が世界で生きるためにもっとも必要な「もの」は職人のスキルと英会話力ということになりました。

私は、食べることが好きなので、「美容師」より「日本食の料理人」に憧れますね。

サポートしていただけたら、とっても嬉しいです。昭和の文化をとことん、語ってみたいと思います。昭和のOL仕事についてお知りになりたいことがあれば、コメント下さい。noteでお答えいたします。