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私が高校生の時、自分の将来を一覧表にするという授業がありました。仕事して、結婚して、子供を持って、家を買ってというように人生のイベントを年齢と共に表に書き込んでいきます。

令和では、「ライフキャリアプラニング」として、男女共に、自分の人生を設計する授業を受けています。自分の人生は自分で決めることができます。

昭和の「ライフキャリアプラニング」とはどんなことをプラニングしていたのでしょう。

「ライフキャリアプラニング」の授業は女子のみ

昭和の「ライフキャリアプラニング」は家庭科の授業で行われました。男子はその時間は、技術か、体育の授業を受けていたと思います。つまり、女子は将来を考える必要があり、男子は、自分の好きに生きて良いってことでしょうか。

女性のライフプラン

まず、先生から、一覧表の書き方の説明を受けます。なぜか、結婚と出産を入れるのが必須でした。子供はできたら二人は持つこと、仕事も、家庭生活に影響がなければ、続けても良いという偏った指導内容でした。

私の書いたライフプラン

私が書いたライフプランを思い出して書いてみました。

21歳 就職(事務職)

25歳 結婚、仕事は退職してパートタイムとして働く

27歳 第1子出産

29歳 第2子出産

37歳 正社員として再就職

憶えいるのはここまでです。教科書に書いてあった見本を少々修正したライフキャリアになりました。クラスメイト達もみな似たり寄ったりのライフキャリアです。一人だけ、結婚しないライフキャリアを書いて提出していました。

私の提出したライフキャリアは、提出物として合格していました。結婚しないキャリアライフを書いたクラスメイトは、これで良いのかと確認をされていましたが、受け取ってもらえたようです。

自分の将来ですので、結婚するのも、子供を持つのも、正社員で働き続けるもの、個人の自由です。ですが、家庭科の授業で、結婚と出産を勧めていたのは、現在では考えられないことです。ついでに家事や育児も全て妻の担当と決められていたのも納得できません。ですが、高校生にもなれば、授業の内容が全て正しいとは思っていませんでしたので、先生の納得する内容でライフキャリアを書いて、提出し合格点を頂きました。

ライフキャリア通りになったのか?

私のライフキャリアは、家庭科の授業で書いたとおりにはなりませんでした。結婚はしましたが、子供はいませんし、仕事は続けていました。

「結婚なんかしない」と言っていたクラスメイトは23歳くらいで結婚したと聞きました。

元号も昭和から平成、令和となり、女性と仕事の関わりも変わってきました。離婚率が上がり、シングルマザーが増えて、女性も嫌でも仕事をしなくてはなりません。海外で居住したり、仕事をしたりする方もいます。

多様なライフキャリアが考えられます。昭和の家庭科の授業で、ライフキャリアを教えていた先生はどういう考えを持っていたのでしょうか。ただ教育課程を守って指導していただでしょうか。文科省は男性は働いて、女性は家庭を守ってという生活が永遠に続くと思っていたのでしょう。

女子生徒は、ライフキャリアを考える授業を受けていたころ、男子生徒は、体育とか技術の授業を受けていました。彼らは、自分の将来は、大学に行くところまでしか考えていなかったようです。男子高校生の将来は自由でした。


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