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私は昭和の終わり頃に、営業事務として商社で働いていました。そのころの仕事術で昭和と令和との違いを書いています。ときどきは、2000年以降のことも書いています。

今年は、新型肺炎の影響で忘年会を、行わない会社も多いと聞いています。台湾では、旧正月前に「尾牙(ウェイヤー)」という宴会を行います。旧正月前なので、日本では、新年会が行われている頃です。今年は台湾でも、日本語に訳すと忘年会ですが、時期的には、新年会の「尾牙」も中止にする企業や団体が多いそうです。

昭和の忘年会はどうだったのか?

私が、働いていた会社では、忘年会は、ちょっと豪華な飲食店で行われていました。年末でボーナスも出て、気分が大きくなっているのでしょう。年末には、美味しい物が食べられました。男性陣は、お酒を飲んでいましたが、女性は「お酒を飲まない」と思われていたので、乾杯以外は、ジュースかウーロン茶が、配られました。私は、お酒に大変弱く、この配慮はとても助かりました。

昭和の時代には「男性の営業は酒を飲むものだ」という認識がありました。営業マンは、「胃を切って一人前」とう格言も聞いたことがあります。アルコ―ルハラスメントのいう言葉もない時代です。お酒を飲めない人はつらかったと思います。

宴会芸って知ってますか?

大企業となると、ホテルの宴会場で、大人数の忘年会が行われていました。立食形式で、MCもプロの方を雇い、タレントさんが来たりしていました。私の知人が勤めていた会社では、新入社員は、パフォーマンスを披露する習慣があり、新入社員は、12月になると就業後、歌やダンスの練習をしていたそうです(練習時間も残業時間だったそうです)。

トラディショナルな、宴会芸だと「どじょうすくい」となりますが、昭和の終わりごろは、アイドルの歌を歌って、後ろで踊るというのが定番でした。としちゃんとか少年隊の時代の話です。

台湾でも、大企業の「尾牙(ウェイヤー)」では、とても大きな会場で行われます。南港展覧館という展示会場では、不動産チェーン店や、食品会社、生命保険株式会社などの「尾牙」が開催されます。台湾中から社員が大型バスに乗って、参加します。もちろん余興もあり、タレントさんが出演しています。(日本のバブルの時みたいな、パーティーが開催されています。)

日本人は宴会がないと年が越せないのか?

忘年会は、2000年を超えても、どの会社でも必ず開かれていました。今年は、忘年会はキャンセルというのは、衝撃的なできごとでした。

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