マケインの躍進から、アニメの今を掘り下げる ③聖地巡礼の行動原理

「聖地巡礼」とは何か?


 前回は、アニメって子供が見るものじゃないの?という誤解を、誤解であるがゆえに解くのは難しいため、ファクトを積み上げて、アニメは「大人になった大人」も見て楽しめるものである、と述べた。今回は③「そもそもアニメが好きなだけで何でわざわざ豊橋に?」という、アニメが動機となり観光に訪れる、いわゆる「聖地巡礼」の心理について深掘りする。

 非常に端的に言えば、聖地巡礼といっても普通の観光と特に変わりはない。観光であればインターネットで見た名物料理、本で読んだ史跡名勝、SNSにあがる映えた風景、名湯と名高い温泉、それらを自分もその場で生で見たい・堪能したいがためにその場所を訪れる。聖地巡礼であれば、アニメに出てきた景色、登場人物がアニメの中で生きている街並み、それらを自分もその場で生で見たい・堪能したいがためにその場所を訪れるのだ。

「観光」と「聖地巡礼」との相異点


 ただ、観光と異なるのは、観光がいかにも名所です(歴史・温泉・テーマパークなど、観光客を呼ぶ目的で場が構築されている)という場所に人が集まるのに対し、聖地巡礼のそれは普通の街並みが人を呼ぶ対象となっているという点である。

 ただこれも、アニメ好き以外には日常生活の場であるから「なんでわざわざこんなとこに?」と疑問を抱くのであって、これは一緒に旅行に行く友人・家族・カップルなどでも行きたい場所とその理由が完全に一致することはないのと同じレベルで、この人はここに行きたいんだな、なぜならアニメに出てきたからだな、という整理ができることである。

 このように、聖地巡礼、と仰々しい言葉ではあるが、その実態はシンプルに観光そのものなのである。ではなぜ仰々しい言葉で呼ぶのか。これは、そのアニメが観光のモチベーションになるほど好きであるがゆえに、そのゆかりの地へ行く高揚感・楽しみ・ワクワク感を、単なる「観光」とは異なる表現で伝えようとしていることが理由である。

自治体が聖地巡礼を観光資源とした元祖?B'z・稲葉浩志の故郷、岡山県津山市


 聖地巡礼の歴史は長い。今でこそアニメの聖地巡礼が全国各地で行われるようになってきているが、遡ると元祖は諸説あり、である。アニメ以外にも範囲を広げると、筆者が確認できた中で最も前から聖地となり、自治体側が観光資源として「聖地」を押し出した街の事例として、B'z・稲葉浩志の故郷、岡山県津山市がある。

 津山では、稲葉浩志の実家であるイナバ化粧品店に、90年代後半に週刊誌で「実家バレ」したことが発端でB'zファンが訪れ始めるようになり、津山市観光協会も「稲葉浩志君メモリアルロード」と称し出身の学校や親族が経営する和菓子屋などを地図にしている。もともと津山城など観光資源がなかったわけではないが、観光地とは決して呼べない津山が、稲葉浩志というロックスターによって観光地化し、自治体がそれを観光需要掘り起こしに活用するようになった、という点では、聖地巡礼のターニングポイントとして一つの事例と言える。

 この事例でも、B'zファン以外には何の変哲もない「気さくなおばあちゃんがやってる街の化粧品店」であるが、B'zファンにとっては「稲葉さんが化粧品屋のひろしくんだった時代」を感じられるゆかりの地、なのである。その始まりは純然たる「稲葉さんを生み出してくれた津山への感謝と憧れ」なのだ。

その後もB'zファンと津山との良い関係は長く続き、例えばB'zが津山公演を行った際、街を挙げてファンを歓迎、稲葉浩志本人もライブのかすかな音を外で漏れ聴いているファンたち(チケットは取れなかったが「稲葉さんの凱旋の場」に立ち会いたい思いで全国から集まった)に向け、ラストナンバーで会場の扉を開け、津山市の夜空に「ultra soul」の大合唱が鳴り響いた、というエピソードもある。

 これ以前にも1980年代の大林宣彦監督の映画の舞台・尾道を訪れるファンのケースなどがあったが、それらはもともと観光地だった地域がコンテンツによって跳ねた事例である。観光地でなかった地域がコンテンツで跳ね、自治体側が観光資源として「聖地」を活かすようになった事例として、2000年前後の津山、「稲葉浩志ツーリズムとメモリアルロード」はひとつの変化点であったと捉えることができそうである。

聖地巡礼への長い歴史が生んだ、街への配慮を伴った「お邪魔させてもらう型」観光


 そして、この長い歴史が、聖地巡礼顧客のもうひとつの特徴を生み出している。それは、自分たちはアニメを見ていなければ日常生活の場でしかない場所に、お邪魔させてもらい、堪能させてもらっている、という意識である。なぜなら、聖地巡礼顧客の心理として「この街がなければ私の好きな作品は生まれなかった」という街への感謝と、そんな感謝の尽きない街に迷惑をかけてはいけないという自制心があるのだ。

 また、聖地巡礼は、その長い歴史の中で「どこそこであの作品が好きすぎるあまりこんなことをやらかした」がインターネット・SNSを介してアニメファンの間には暗黙の集合知として認知されているものでもある。そのような過去の失敗を踏まえて、なおのこと自制心を保って観光に来るのだ。

 いわば、旅先でハメを外す確率の非常に低い層が観光客として訪れる、それが聖地巡礼なのである。

聖地巡礼は普通の良識ある観光だが、第三者には「謎」の側面も抱える。多様性への寛容が大切


 まとめると、聖地巡礼という字面から想像されるような仰々しさや行動原理があるわけでもなく、至って普通の観光、しかも街への感謝と良識ある観光、という形でアニメの舞台となった街にファンが訪れてくれるのである。

 強いて聖地巡礼が第三者に謎・特殊に見える点を挙げるなら、アニメにせよ楽曲にせよ、作品に触れていない人々には「この人たちがこんな普通の街に観光に来るモチベーションがさっぱりわからない」という点だけだ。鎌倉高校前踏切も、イナバ化粧品店も、豊橋も、である。ただ、それとて多様性の世の中であり、みんな違ってみんな良いのだから、ああ、この人たちはこれが好きなのね、と思えば済む話である。

 時間は過ぎる。日常はアップデートされていく。少しずつ、時間はかかるかもしれないが、他の街(津山、鎌倉)がそうであったように、時とともに聖地巡礼観光は街にとってごく当たり前のことになっていくのだ。聖地巡礼は良識ある観光でもあり、「謎」な観光でもある。「この人らはこれが好きなのね」「みんな違ってみんないい」の多様性への寛容が、時間をかけて地域の経済活性化につながっていく。

 もちろんこの多様性への寛容は、人様に迷惑をかけなければ、街のイメージが悪くならなければ、という大前提がある。ただしこれは、聖地巡礼ファン自身の自制心・感謝の気持ちと、観光需要創出のための重要事業のひとつとなっているというアニメの社会的地位の向上によって、特に問題なくクリアできているのではないか。

 次回は④「何かいろんなところにマケイン出てるけど、そもそも市が力入れるほどのものなの?」について、観光施策・経済理論・公平性の観点から深掘りしたい。

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