【掌編】浄玻璃鏡
静かな夜、とある研究室で。
もはや何も言わぬ物体となった骸を踏みつけてから、白根は我に返った。
(しまった……つい、かっとなっちまった)
だが、それもこれも能天気に「あと三日後に来てくれよ」などと言い放った黒野が悪い、と思い直す。
(幼なじみの友人だと思って、あいつ、好き放題に無心しやがって。俺がどれだけの資金をつぎ込んだか分かって……!)
幸い、急な深夜の呼び出しだった。
白根がここに来ていたことは誰も知らない。
床に転がっている黒野以外は。
あいつが嬉しそうにはしゃいでいた、”画期的な”ガラクタ。
真っ黒なガラス板を前にすると、また怒りがこみ上げてきそうになる。
だが、これ以上現場を荒らすのは証拠を増やす。得策ではない。
手袋をはめた手で、そっとカバーを掛けなおしておく。
修羅場は何度も潜ってきた。
アリバイ工作の手順を捻りだし、痕跡を消して現場を後にする。
* * *
死体が発見され、事件として警察が動き、はや三日後。
「まさか、黒野が殺されちまったなんて……信じられない」
哀しみに耐えるフリをする白根を見て、担当刑事の灰戸は同情するようにかぶりを振った。
「それで、当日の夜に虹原さんと会っていたのは間違いないですか?」
「え、ええ……黒野の研究資金について話し合わないといけなかったもので……正直、こんなことになっちまって参ってるんです」
灰戸は、研究室の壁に立てかけられた真っ黒いガラス板をみやった。
「なるほど。ちなみに、これはどういうものなんです」
「さあ……あいつ、あと数日後に来てくれ、としか言わなかったもので……」
涙を拭いて、白根は困惑したように言う。
「あなたも御存じない、というわけだ。いいでしょう、詳細な聴取はまた後日に……なんだ?」
* * *
黒いガラス板が、突然光を放ち始めた。
眩く曇りない鏡面。
そこに、満面の笑みを浮かべた黒野が、マジックで下手くそに「大成功!」と書きつけたボードを持って立っている。
「く、くろの……?」
白根は呆気に取られて動けなかった。
鏡面の向こう側で、黒野が布をガラス板に掛けるような動作をすると、再び暗くなった。
(そうか、この黒はカバーの裏地の色……)
慌ただしく指示が飛び交い、鑑識が録画し始める傍ら、白根はそのガラスに映る光景を凍りついたように見ていた。
カバーが外されると、はしゃいでいる黒野と仏頂面の白根の姿があった。
左右逆だが、三日前の光景そのものだった。
白根が何かをしでかさないよう、灰戸が被疑者の腕と肩をしっかりと押さえながら言う。
「黒野さんは……本当に天才だったんですな」
発明品をしまおうとしゃがんだ黒野の後ろで、白根が机の工具を握りしめて振りかぶったあたりで、白根は目を閉じた。
(1107字)
「鏡」という興味をそそられるテーマだったもので、通りすがりで、しかも〆切ギリギリですが、応募させていただきます。
よろしくお願いいたします。