自分にとっての理想の人体/人間の体に胸というものがなかったらもっと美しいのに
人間というものは、スタイルが悪かったらどれだけ顔が綺麗でもブサイク、顔がマシでも、スタイルが悪かったら失格、顔が普通でも、スタイルが良かったらマシに見えるものだと思う。
基本的に人間の肉体というものはグロテスクなものである。
スーパーモデルはその反対、凡百の人間ならば気持ち悪いものを崇高なまでに美しく存在させている。
はじめてスーパーモデルというものを認識した時は人間世界にこんなにも美しい人間がいるのかと信じられなかったほど非現実的なまでに美しい存在。
スーパーモデルは全てのバランスが良い。どこをとっても美しいから見る角度を一度変えただけでまた違う絶景が目の前に開かれる。
その美しさの理由はムダなものが一切ついていないということ。そして細くて、長い。脂肪がないだけでなく、必要以上に発達した筋肉もない、若木のようにしなやかな肢体。脂肪がついていないということは、老廃物がついていないということ。だから見た目にだけでなく実際に体内も清潔である。
肉体美でいえばダンサーの肉体もまあムダな脂肪がついていないのは良いとして、モデルのように持って生まれた美しさではない。ダンサーの肉体が美しいとされるのなら、それは天然の美しさではなく人工的なものである。
ダンサーの肉体の何が美しくないかといえば、過剰に筋肉がついていて太いこと、甲羅のような外観をしていること。実際には柔軟性は高いかもしれないが、見た目にはしなやかには見えない。むしろ硬そう。モデルは見た目にもしなやか。細くて筋肉も脂肪もないから。
ダンサーの体の中でも特にふくらはぎ、膝の上、尻、肩回りにボコッと出ている筋肉の形状が気持ち悪い。あれを見るとオエッてなる。
筋肉もまた脂肪と同じように「肉」であるがゆえに発達した筋肉は余分な「肉」と言える。
その過剰な筋肉を維持するために彼らは生きるために必要最低限な分量以上の食物を摂っている。必要以上に食べたぶんのカロリーだけは消費できたとしても、処理しきれなかった成分は何らかの形で体に溜まる。それゆえ不健康である。
男よりも女の体の方がまだ見た目にはマシに見える。
その女の体の一生の変遷の中でも胸が成長する前の少女の体、生理なんかなさそうな細くて痩せた女の子がいちばん美しいと思う。
手足がすらりと長くて、肉の重量感というものが全くない体。もちろん胸も尻もなくてうすっぺらい。
あどけないまま身長だけ大人になった状態、顔つきや皮膚や肉の柔らかさは子どものままで、骨格だけ大人。骨は大人並みに長くなってきているけれど、肉はついていない。
そんな「女」になる前の体がいちばん美しい。ほっそりして老廃物の詰まってない体。私はずっと少女のままでいたかった。自分は胸も生理もいらない。
女の体は腰回り、背中、肩に肉がつくと“熟女”っぽくなってしまう。体の末端まで肉がついてきたら末期。太腿、お腹中央部だけに肉がついているならまだ若いという感じがする。
スーパーモデルは十代半ばくらいでスカウトされて、20過ぎまで続ける者が多いが、それはその年代は身長は大人と同じでも、肉体はまだ成長中でどんどん細胞が新しく生まれ変わっているから清潔、骨も筋肉も水分をいっぱい含んでいて柔らかく、みずみずしいからきれい、そういうわけなのだと思う。
肉体には内面が表れる。その点、この年頃は肉体のみならず精神面でも大人でも子どもでもない状態であるゆえ、顔面に精神性が刻印されていない。まだ世の中のことも自分のこともよく知らない顔つきは真っ白なキャンバスと同じである。しかるゆえに服を見せる上で邪魔にならない。ただでさえ生まれつき美しい者が、肉体、顔つき、どちらも大人にも子どもにも属していない期間なのは、人間界で最も美しく幻想的な状態である。
Natalie Westlingちゃんが女性の体だった頃、彼女を好きだったのは、あんなに美しい肉体なのに、自分の肉体の居心地が悪そうだったから。今思えば、それが、大人になっても女性の肉体であることに違和感を持っている自分と似ている事を無意識に感じとったのだと思う。
自分の体を居心地悪く感じていることは、どんな表情の時にも「はてな?」という感情のベースがあることから感づいた。自分がこの肉体であることが不可解だったのだ。
少女というものは、成長期ということもあり、変化の大きい時期ゆえに自分で自分の体に戸惑っている。
Natalie Westlingちゃんは精神も体も華奢で壊れそうでガラスのように繊細で美しい、本当の少女だった。その美しい姿をこの世の様々な媒体に残して男になってしまった。
少女でなくても、客観的に世の女性の体を見ると、乳がない方がキレイに見える。
乳の輪郭がはっきり分かる乳の形が気持ち悪い。乳輪も気持ち悪い。乳首という存在自体が気持ち悪い。
肥って乳腺の間だけでなくさらにその上全体を覆うように皮下脂肪のついている乳は見るに耐えないほど気持ち悪い。太った人の乳ほど気持ち悪いものはない。女だけではない、男もだ。男の体のマシなところは腰が細いことと胸がないことなのに肥って女並みに乳があり尻周りのデカい男の体は男ではない。家畜みたい。
人間に、男にも女にも乳首がついていなければいいのに。
スーパーモデルの肉体を見るのが高校生の頃から今に至るまでずっと好きなのは、ただ純粋に美的に美しいということもあるが、同時にあれだけ痩せていても胸があることを確認して、どれだけ痩せても胸はなくなりはしないことを自分に納得させるためである。しかしやはり胸のない体は理想である。
大人でも、中性的で、とても痩せていて、綺麗な人は、少女のその状態には及ばなくても、比較的美しいと思う。
だからせめて自分の描く絵では胸は描かない。
私は胸も性器もない体がもっとも美しいと感じる。
女は性器が外見から分かりにくいから、その点は女で良かったかもしれない。
だから胸に対する扱いと同じように、自分は自分の絵の中では男も女も同じ体にしている。
それが自分の理想、自分が美しいと思う世界だから。