興味の行方とその理由
こんばんは。
れふとで御座います。
ディベートゲームの前に面談をしておきたいと思い、
連休前に皆さん一人一人と面談をしました。
お話を伺っていき、これからの目標や、不平不満、
不安や要望、会社のこれからの展開についてなど、いろいろ話を皆さんと出来ました。
蓋を開けてみればほとんどの子が面談で涙し、
様々な思いと、涙の色とその理由を教えてくれました。
安堵から涙する子、
不甲斐なさから涙する子、
本音を打ち明ける事で涙する子。
本当に色々な色と温度がありました。
皆さん女の子達だからか、涙を流す事でデトックスと言うか、
スッキリ出来たようで「また明日から頑張ります」と、
前向きな気持ちで面談を終えてもらえました。
私としては何よりも嬉しい終え方を出来て良い連休を過ごせました。
不貞腐れてしまって心の内をなかなか話してくれない子もいたりしましたが、
それはきっと涙のそれと同じで、自分や会社に対して諦めていないからこその感情であったりするのかなと思いました。
と言うのも私自身、本気で今の会社を辞めようと思った時があったのですが、
気持ちが離れてしまい、言葉は悪いですがどうでもいいみたいになってしまうと、
途端に涙も、感情も持たなくなってしまいます。
不平不満と言うと言い方は良くないと思いますが、
それも思えば期待があるからこそなのでは?と気が付けました。
面談を私がしている側ではありますが、
私の方が皆さんに教えてもらってばかりのような気がします。
主任の子と、部下に当たる歴の浅い子達の事を話していた時
「れふとさんはどうしてそんなに他人の事がわかるんですか?私が他人に興味ないのかなぁ。」
と言う事を言われました。
その言葉を言われた時に私は少し、自分自身の事を理解出来た気がするのです。
『いえ、あなたが他人に興味がないのではなくて、
私が自分に興味がない分、その分他人に興味が行くのかもしれません。』
私、自分自身に対して興味が全然ありません。
着る服もブランド物なんてないですし、
髪の毛も自分で切りますしヘアカラーも市販の安いのしか使った事、御座いません。
私、とっても安上がりなのです。
多趣味で飽き性の私だからか、自分自身を何十年も生きていると、
自然と自分に興味とか、なくなってしまうのです。
生まれて間もなく、私は私に飽きたのだと思います。
その分、関わってくれる方や、その場限りの飲食店で見かけたおっさん、
家具家電を買いに行ってオススメしてくださるお姉さん、
会議や電話で、同じ空気を吸った事もないのに仲良くお喋りしている他店の役職の皆さん。
そっちに興味が行くのは私にとって自然な事でした。
それと同時にもう一つ、自分の感情の意味を知った気がしました。
人の為に生きて、人の為に命を燃やしていきたいと思えているのはきっと、
良い人でありたいとか、人格者でありたいとか。
そんな大それた事ではなくで、
自分に興味がない分興味がある事や興味のある人の為に生きていきたいと言う事なのかもしれません。
きっと私の人生、ただそれだけなのです。
人見知りで他人と関わるのを基本的には避けて通るタイプの人間なのですが、
たくさんの出会いを通して、ほんの少しだけ人見知りを直したいなと、
思えるようになりました。
それでは、何のまとまりも御座いませんが今日はこの辺りで。
どうか皆様、良い夜を。