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つんでるシネマログ#5 メドゥーサ・タッチ

原題:The Medusa Touch1978/イギリス・フランス
上映時間119分
監督:ジャック・ゴールド
出演者: リチャード・バートン リノ・ヴァンチュラ リー・レミック

厄災はすぐ側にあるかもしれない

 ある男が、何度も殴りつけられ殺される事件が発生し、刑事が捜査に乗り出す。被害者の男は死亡と思われていたが、事件現場で突如息を吹き返した。だが男の意識は戻らず捜査は続行。男を襲ったのはだれか?男はなぜ襲われたのか?被害者の日記を手がかりにする中で、男が通っていたカウンセラーの女性が捜査に浮かび上がる。刑事は日記を読み 、カウンセラーからの話を聞く形で、男の恐ろしい過去に少しづつ踏み込んでいく。男の意識は依然として戻らず、病室でただ静かに生命活動を続けているのだが…

 というのがこの映画の簡単なあらすじです。事件の謎を追いかけるミステリーとして始まりますが、次第に捜査を進めるうちに話はオカルトめいた領域に入り。思った以上の大変な場所へと着地するお話がダイナミックな映画です。

 何がオカルト的なのかと言うと、捜査をする中で、真実か妄想か、テレキネシス(念力)を被害者の男が持っているのかもしれないという事が分かって来るからです。同時に男は変わり者で世の中から孤立し、強い憎しみを持って生きていた事が分かってくるのでした。

 この映画を簡単にまとめると

世の中でつまはじきにされ、孤独をかかえ、強い社会への憎しみを持った男が実は巨大な厄災になりうる力を持っていたら?

ということです。

 1976年公開のブライアン・デパルマ監督の『キャリー』もいじめられていた女の子が実は、恐ろしい力を持っていたら…という映画でした。大きな括りで判断すると、この映画はそれと近しいです。それを引き合いに出して、この映画はその二番煎じとして当時評価はあまり著しいものではなかったようです。ちなみにですが、この『メドゥーサ・タッチ』は2013年のリメイク版の『キャリー』の方がよりテーマ的には近いです。2013年版の『キャリー』の描き方は少女キャリーも被害者であった事が強調されています。後述しますが、その描き方が今作とは重なります。

 ですが『キャリー』とはまた違った切実な恐ろしさがこの映画には有るように思います。

※↓以下この映画の結末に触れています↓※

 次第に分かっていく被害者の男の過去。男は子どもの時から念じるだけで、人を殺すことができたらしく、車を動かして崖から人を突き落としたり、火事を起こしたり、または睨みつけただけで人を殺したり、自殺させたりという事も出来るというのです。そして殺されかけて意識不明で眠っている今も、男の脳波は激しく動いており、日記に記されていた手掛りから大聖堂を崩落させて、集まった人間を皆殺しにしようとしていることが分かります。

 そんな男を殺そうとした犯人はカウンセラーでした。男は以前カウンセラーに力の存在を証明をする為に目の前で飛行機を墜落させたというのです。それを見て恐ろしくなったカウンセラーは、男が次にだれかを殺す前に男を殺してしまおうと思ったのでした。そしてカウンセラーは次なる大聖堂崩落の念力テロの前に再び男を殺そうと病室を忍び込みますが、男と目があってしまい逆に殺されてしまいます。

 刑事は大聖堂でのテロを何とか回避しようとしますが、誰にも信じてもらえず、大聖堂は男の念力で崩落し大惨事となります。刑事は変わらず病室で眠る男の元に駆けつけ延命機器をすべて外しますが、驚いたことに男は死にません。そこで男の手が動いているのを見て、刑事はペンと紙を男に持たせます。すると男はメモにウィンズケールという地名を書き出します。それを観て刑事は驚愕します。その場所にあるものは原発でした。

大量殺人犯の胸の内

 先述したとおり『キャリー』、または『オーメン』のような超能力ホラー的な内容ですが、ホラーと言うよりは徹底的に第三者が災禍に立ち向かうパニック映画の様になって行きます。
 
 この映画のどこに惹かれてしまうのかというと、超能力を持った存在が、少女や少年ではなく「不幸な人生を歩んだ孤独な中年男性」という点です。テロや無差別事件の原因には、社会への鬱憤や、孤独が関係していることは少なくないと思います。世の中に絶望し、人に絶望し、超能力で次々と厄災を起こす男は、そんな数々の事件の犯人のような存在である言えます。

 この男の孤独や思想が、手がかりとなる日記や、カウンセラーの話からすこしづつ伝わってきます。男が幼少から不幸であり、周囲の大人に虐げられてきた事や、人を殺した事に少なからず罪悪感を感じている事、それを社会や権力者のせいにしてすこしづつ殺人を正当化し、自分はこの力で愚かな者を世界の為に裁いていると考ていくこと。そんな歪んでいく過程がすこしづつ分っていく捜査の過程が、まるで連続殺人鬼やテロリストの手記を読み解くようでいて恐ろしく、またミステリー映画としてもおもしろいです。

 同時にそれは悲しくもあります。男は実はどこかで人からの共感を求め、孤独から抜け出す事を望んでいたのではないかと感じさせるからです。日記というのは人に見せるものでは有りませんが、必ず書く際には誰かに読まれることを前提に書くものです。またカウンセラーにも他の人と違い、「君にはまだ絶望していない」と尊大な態度を取りながらも、何度も繰り返し自分の事を話していました。彼が孤独を抱えて、ギリギリ淵に立っていることは明白です。彼もまた何かしらの被害者であるかもしれず、恐ろしい事実と男の悲哀が同時に描かれていくのは、追い込まれて牙を向いた怪物としてホラー色強く描かれた1976年版『キャリー』とは違った味わいと言えるでしょう。(リメイク版と似ているのは以上のことからです)

メドゥーサの意味は

この映画に出てくる映画のタイトルになっている「メドゥーサ」ですが、ギリシャ神話に出てくる怪物ですが、最初にそのレリーフが登場します。メドゥーサといえばその目で睨みつけたものを石にしてしまう能力の持ち主です。おそらくこの映画の超能力者の男の視線だけで災いを起こす力と通ずるものとしてののタイトルだと思います。(超能力者がおっさんなのはちょっと引っかかりますが)

余談ですがメドゥーサの左の血管の血には人を殺す力が、右の血管には死者を蘇生させる力があったとされています。男の、人を殺すほどの強大な力は同時に人を救う力があったのかもしれません。彼が孤独で歪んでいかなければ…

もう手遅れであるという怖さ

 この映画の最も恐ろしい点が有ります。男が殺されかけた時点からこの映画は始まります(キャリーで例えると豚の血を浴びた時から映画が始まるということですね)。犯人は前述の通りカウンセラーです。カウンセラーの女性からも殺されかけ、男は完全に孤独となり、歯止めを失いました。そしてその前から男が溜め込んできた負の感情は次なるテロへと流れ込んでいきます。この映画はすでに止められない流れの中にあったのです。止めることが出来たであろうポイントはとうに過ぎたところから映画は始まっていたのです。それを後から観客は知る為、最初から詰んでいたのだという絶望感に襲われます。

 世の中で起こるテロや無差別事件は突如として起こります。ですが、そこに至るまでの道程というのが必ず有る訳ですが、それはけして被害者側には見えず、事が起こった後にしか、そこに何があったのかという事はわからないのです。起こった時には手遅れどころではないというわけです。この映画は超能力を扱った絵空事かもしれませんが、そこには何ともハッとさせられるような現実があります。

 何処かで育まれた悪意がいつの間にか強大になって、見ず知らずの人に襲いかかる、社会で生活する中で突如として誰かの悪意に襲われる。そんな日常と繋がるような恐ろしさがこの映画の白眉ではないでしょうか?

 映画の後半に出てくる、旅客機がビルに追突するシーンや大聖堂の崩落シーンは数ある映画の特殊効果を手掛け、後にアカデミー賞を受賞するブライアン・ジョンソンの仕事です。ミニチュアに見えない映像がすごいのですが、旅客機がビルに突っ込むという画はどうしてもアメリカ同時多発テロを思い出してしまいます(テロの事を見えない恐怖や見えない敵と呼んでいました)。そして映画の終盤に示される原発でのテロは、今となってはフィクションの中の出来事と思えない近さで戦慄させられます、(ちなみウィンズケールは今はセラフィールドと呼ばれ、日本の原子力発電との関係も少なからずあった場所です)

究極的には人にやさしくという話

 『メドゥーサ・タッチ』は虐げられた男の悲哀と、それが何倍も恐ろしいものとなって世の中に牙をむく事の恐ろしさを、超能力でのテロという荒唐無稽さで描きながらも、非常に肌身で感じるようなリアルな話運びで描く映画です。超能力映画の秀作といって良いと思います。

 この映画を見ていると、手の届く範囲で人には親切であろうと思いますし、無闇に人を悪く言うような事はよすべきだなと思います。「口は災いのもと」とはよく言ったもので、言葉やそれに該当する態度は、災いの種となるのです。自分が振りまいたその種が、それを受けた人の中で育って、いつか自分や誰かの災いとならないように、ただただ想像を巡らすばかりです。


『メドゥーサ・タッチ』から連想した映画達

キャリー
超能力を持った女の子が虐められた末にその力で学校の生徒たちを血祭りにあげていく傑作。今回の話のスクール版という気もする。リメイク版の方がホラー色が少なく、少女キャリーの被害者であるという側面が強調されている。

オーメン
666のアザを持って生まれた子どもダミアンを巡る物語と、その周りで巻き起こる不幸な死を描く傑作ホラー。『メドゥーサ・タッチ』では超能力者の男の幼少期がオーメンのような雰囲気を醸している。終盤の大聖堂の崩落など反キリスト的な雰囲気も有るため、影響は有るように思う。


メモ

監督 脚本:ジャック・ゴールド
イギリス出身の映画監督。テレビ映画を良く撮影しているようだ。
『メドゥーサ・タッチ』以外の知名度は日本ではそこまで高くなく筆者はいずれも未見。戦争映画『スカイエース』バーネット原作の「小公子」の映画化『リトル・プリンセス』などを手掛けている為、多作な映画監督なのだろうと思われる。

脚本:ジョン・ブライリー
アメリカ出身の脚本家。1982年の『ガンジー』で第55回アカデミー脚本賞、第40回ゴールデングローブ脚本賞を受賞した。

出演:リノ・ヴァンチュラ
イタリア出身の俳優。『現金に手を出すな』『死刑台のエレベーター』『レ・ミセラブル』など多数出演。

出演:リチャード・バートン
イギリス出身の俳優。『寒い国から帰ったスパイ』『荒鷲の要塞』『1984』などその他多数出演。舞台俳優としても有名。よく知られるところでは『エクソシスト2』のラモント神父役。

出演:リー・レミック
アメリカ出身の女優。代表作に『或る殺人』『酒とバラの日々』先述の『オーメン』に出演している。

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