夫の発達障害【夫婦でいる理由①】
これから先のことは分からないが、今現在私たちは夫婦でいる。
その理由は、何だろう。
自分でもよく分からなくなることはこれまでに多々あった。
「彼のよさって何?」
「彼といるメリットは?」
「誰か教えてよ」
毎朝毎晩、そうやって悶々と過ごす日々があった。
娘にとって、何が一番の選択なのか。
考えても考えても分からない。
彼と娘との関係性が、今後どうなっていくのか。
娘は父親との信頼関係を築けるだろうか。
もしかすると傷つくばかりなのだろうか。
私自身、父親がいないこともあり、彼女から父親を遠ざけることが正しいかどうかの判断が全然つかなかった。
こういうとき、私はいつも「決めない」ことを選ぶ。
「分からない」ことは決断しない。
迷いがあるときはまだその時期ではない。そう感じるから。
子どもが生まれる前は、「もう無理です」と何度も伝えたことがある。
それでも夫婦関係が続いたのは、ひとえに彼が
「俺はそうは思わない」と言い続けたからだった。
一度でも「そうだな」という答えが返ってきたら、私たちは容易く終わっていたと思う。
妻が2人の関係性についてしんどさを訴えているのに、「俺は」で返すところに強い特性を感じるけれど、
結果として、現在家族の形を保っているのはそこに要因がある。
もう嫌だ一緒にいたくない同じ空間になんていられない。
そういう気持ちで過ごした時期もある。
これからもまたそんな日々は繰り返し訪れると思う。
でも、彼はきっと「俺はそう思わない」というだろう。
そして私はそれに委ねる。
そこに委ねてしまうのは、迷いがあるからだ。
その迷いの中身は、
彼と離れて、娘を1人で育てていくことへの不安だろうか。
自分の両親同様に、結局は家庭を築けない自分自身を受け入れたくないためだろうか。
経済的な不安、自分の時間がいまよりさらに取れなくなることへの危惧。
娘の将来の選択肢を狭めたくないという気持ち。
そういうものが、全部ごちゃまぜになって押し寄せる。
彼といたくない、という思いと、それらの比重を測る。
でもたぶん、根底には、彼の「人間性」に期待しているところがあるのだと思う。
彼の特性には悩まされるけれど、前回書いたように、ときどき彼の「思い」が見えることがある。
そうこうして「決めない」でいるうちに、最近、ようやく娘が彼に懐いてきた。
言葉が交わせるようになって、意思疎通できる部分が増えたおかげで、
彼は娘の要望に応えやすくなっている。
彼は基本的に娘にNOを突き付けることはないので、娘にとっては「安心して甘えられる人」なんだと思う。
そういう場面を見ると、ああ、娘にはこの人もいた方がいい。
と素直に思う。
愛情があるのは分かるし、人間1人育てるときに、周囲にはいろんな大人がいた方がいいとは常々思っている。
親のいうことは絶対、になりやすいのが子どもだから、私という基準だけでこの子が育っていくことを思うと不憫だ。
それにたぶん、私よりも娘の方が、彼のことをフラットに受け入れる。
将来、
「こういうとこほんと苦手だよね。貸して、私がやってあげる」
と、父に対して自然に手を差し伸べる気がする。
それは娘の人間性に対する私の信頼。
そう思わせてくれる娘に感謝しなければならない。
相手の感情に寄り添うことがとても難しい夫とは、
成長すればするほど、すれ違って大いに傷つくことも当然あるだろう。
それも含めて、あの人と娘とは、ちゃんと彼らなりに関係を築いていく。
それが今信じられる。
当たり前だけれど、私という人間も至らないところが山ほどある。
娘に対してイライラすることがある。夫へのイライラから娘への対応が雑になることもある。
生理前なんて、いつもは「いいよ」と返すところで「何してんの」となってしまうことだってある。
公共の場で、人として正しくない振る舞いをしてしまっていることもあるだろう。
私も余裕のない人間だから。
そういうとき、夫が娘の安全基地になり得ると、今思える。
たとえ無言で何もしなくても、そこに「もう1人の親」として存在していることは、娘にとってきっと重要だと思う。
彼はそういうとき、黙って受け入れる人だから。
適切な対応はできないかも知れないけれど、きっと否定はしない。
それだけでも充分、娘には価値がある。
そして娘にそういう存在がいるということは、私にとってもだいぶほっとする要素だ。
仮に彼が、特性によって、あるいは彼の人間性によって、娘を傷つける存在でしかないと判断しなければならないとしたら、
そのときは離れることになるだろう。
たとえば、多大な借金が発覚する、とか。
たとえば、無意識に犯罪に巻き込まれていた、とか。
大きな事故を起こしてしまった、とか。
ADHDの特性が強いため、どれもあり得ない話ではない。
彼は、特性が強くて一緒にいると困ることがたくさんある。
でも、どこかに「思い」があるのは分かる。
一緒にいることの大きな要因はまず、そこにあると思う。
そして、「人とのコミュニケーションが苦手」であることは、
実は私を安心させる要素の1つでもある。
それが家族を続けられる2つ目の理由。
次回はこれについて書こうと思う。
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