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夫の発達障害【捉え方の変化①何度も同じことを繰り返し伝える必要性】

夫との暮らしの困りごとは、はっきり言って減らない。
仮に1つ改善されたように見えたとしても、今度はその分他のことが抜けるし、数日たてば元に戻る。

何度も書くけれど、【しない】のではない、【できない】のだから仕方がない。

私はつい数か月前、夫に首を絞められかけたことで、彼の異常さをほんとうの意味で認識した。
そのおかげで彼が障がい者であることを受け入れられたのだから皮肉なことだが、これは、私たちにとってかなりの「前進」だと思っている。

それまでの私は、彼が特性をもっていることを頭では理解しながら、
手を尽くせばどこかに分かり合える瞬間が生まれるのではないかという気持ちを捨てきれずにいた。

「何か方法があるはずだ」
そう思っていた。

だから、交換日記にはじまって新聞の購読、警察や病院などの機関など、あらゆる手法を試して四苦八苦し、
苦しみから解き放たれたいといつも願っていた。

けれどもその結果、彼はどんどん追い詰められていった。
互いに傷つけあうことしかできず、息がつまるような日々だった。

それだけならまだしも、先ほども述べた通り1度彼がヒートアップしてしまえば、娘の前でも暴言暴力の応酬が始まってしまう。
それだけは止めなければならない。

けれど一方で、私には私の気持ちがある。
ストレスに強いタイプでもない。むしろすぐ食欲が落ちて瘦せこける。
「分かってよ」
「なんで伝わらないの」
いくら彼を心から締め出そうとしても、「夫」である以上なかなか難しかった。
発達障害をもつ彼(彼ら)を受け入れることの困難さは、同じ経験をした方でなければ分からないと思う。
彼は、彼らは、見た目には分からない。
仕事をそつなくこなしている人もいる。
外ではふつうに振舞える。
「できる」ときがある。
「できる」こともある。
知能が低いわけではない。
「わかった」という返事がある。

何より、結婚前はそこまでじゃなかった。と嘆く人は多いだろう。

けれど、同じ日本語のはずなのに通じない。
ニュースで流れる常識が通じない。
「私が」といっているのに「俺は」で返される。

そうして結婚以来、私が思いつく限りのあらゆることを試した結果辿り着いたのは、
「分かろうとしないこと」
「分かってもらおうとしないこと」
に尽きる。

分かり合えると思わないこと。

彼が言っていることが理解できなくても、流す。
こちらが言っていることは伝わらないから、そもそも言わない。

ただ、家庭運営において生じる必要最低限な連絡は、
どうしても繰り返し伝えなければならなくなる。

夫は忘れるし、そもそも覚える気もなさそうだし、
1つ入ったら別の1つが出ていくし。

私はもともと、「同じことを何度も言わされる」ことが心底嫌いなタイプ。
効率的に回したい人間なので、夫への対応は無駄が多すぎてイライラする。単純に面倒だし、そんなことに労力を割きたくないという思いが強い。

なぜそのことにこんなにも腹が立つのだろう、と夫と暮らして以来自己分析しているが、たぶん、「自分の発言(すなわち存在)を蔑ろにされた感」を受けることもあると思う。

でも、彼が障がい者であることを理解してからは、
毎日同じことを言わなければならない場面では、
「アレクサ!」とか「Hey,siri」とか「OK,Google」とか、そういう声掛けだと脳内で変換するようにしている。

うちの夫の場合、私が起動させる必要があるのだ。

アレクサやsiriやGoogleは、こちらの状況や気持ちを読んで動いてはくれない。それと夫の性能は近いと思う。
ただ残念なことに、アレクサやsiriやGoogleよりも、実行の精度は低い。

それも承知。
バージョンの古いタイプなのだから仕方がない。

こんな風に考えていると、結構気持ちが楽になる。
「なんで何度も同じことを言わせるの」
という不満が溜まりにくくなったような気がする。

うちの夫は、はじめに組み込まれたプログラミングを変えることが難しい生き物だ。
私は、彼に首を絞められたことでそのことがようやく腑に落ちたのだった。




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