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夫の発達障害【救世主願望(メサイアコンプレックス)】

前回の記事で、夫の根底に「人の役に立ちたい」という想いが強くある、と記した。

そして、彼がその気持ちを表出させるたびに、私はいつも不健全な匂いを嗅ぎ取っていた。
簡単にいえば、「度が過ぎる」「距離感がバグっている」「相手を選ばない」というところに。

それはたとえば、ボランティア活動に生きる意味を見出し過ぎている人や、
被支援者のニーズを無視して、「わかる、わかるわ~」と支援者側であることに優位性を見出しているような人に感じるものとほとんど同じだと思う。


たとえば、以下は結婚当初のエピソード。

あるとき、私が県を跨いで隣の隣の市まで飲酒を伴う会合に出かけることになった。
その予定を伝えると、彼は電車で行くからいいという私に構わず、片道1時間半ほどかかる距離を送迎すると言う。

そして実際、彼は一旦私を会場まで送り、その後地元に戻って出勤し、今度は勤務を終えた後、また会場まで迎えに来てくれた。
つまり、往復3時間近くの距離を仕事を挟んで2往復したわけだ。
わざわざそのために、仕事を調整して。

私はこの時点で、だいぶその異常性を察知してはいたものの、何しろ新婚だし、無下にすることもできなかった。
でも、いつ思い返しても、やっぱり変な話だなあと思う。

普通に考えれば、そうした行動は夫が私を想ってくれているからだ、ととらえると思う。
けれど、驚くなかれ、これがどうもそうではないという。
私は一度、夫婦関係がいよいよ破綻したときに、彼に訊ねたことがあるのだ。

その時期はもう、そこまで尽くそうとする反面、すぐに感情的になって暴言暴力が出る人間の一体何を信じたらいいのかが分からなくて、
「あなたが私に何かしてくれるのは、私を喜ばせたいから?」
と訊かざるを得ない状態だった。
混乱に次ぐ混乱に疲弊していた。

その質問に彼はすぐ、「そうだ」と答えた。
それならばと私は続けて、
「それは、好意があるということでいい?(その他の行動と矛盾し過ぎているので確認が必要だった)」
とさらに深く掘り下げた。

すると、彼は何と、
「いや、それは関係ない」
と言うではないか。

(このときはお互いに冷静に話していたし、彼はじっくり考えながら言葉を選んでいる様子だったので、100%本音と合致する表現ではないにしても、そう遠くないのではないかと思う)

また不可解なことを言い出したな、と思いながらも、当時どうにかして彼を理解しようともがいていた私は、さらに突っ込んで訊いた。

「どういうこと? 嫌いな人でも喜ばせたいの」
すると、
「そうだな。たとえ相手が嫌いな奴でも、喜んでくれたらいい気持ちがする」
彼はそう答えたのだった。

それで私は、「ああ、やっぱり」と思った。
彼は、「自分のために」誰かの役に立ちたいのだ、と妙に納得した。

何ていうか、彼はお人好しにも見える一方で、何か冷たい印象が拭えないな、と感じていたから、すごく腑に落ちた。

相手は誰でもいい、誰でもいいから自分に感謝してほしい。
これが彼の根底にある気持ちなのだと思う。
もちろん、彼の行動がすべてこれに当てはまるとは思っていない。
彼にも純粋な善意があると思う。

でも、基本的に彼は、相手のことは見ていない。
見ていても、「俺を気持ちよくしてくれるツール」という認識な気がする。

学生時代、彼は同じサークルの友人たちに、かなりの頻度で食事を奢っていたらしい。
でも彼の口ぶりにはいつも、その友人たちを見下している調子があった。
ずっと違和感のあったそのことについても、私は何となく合点がいった。

これはもう病的だな、と思ったので、早速調べてみたところ、
彼の言い分は「メサイアコンプレックス」の症状に合致していた。

このメサイアコンプレックスとは、簡単にいうと「自己評価のために生まれるやさしさ」ということらしい。
つまり、「自分が救われたい」という想いを起因として、他者へのやさしさを発動させる。

そのため、もしその他者へ向けたやさしさが受け入れられなかったときは、本人はかなりのダメージを食らうらしい。
その結果、今度は相手への攻撃性へとすり替わる危険性を孕む。

参照:「自己肯定感の低さから生まれるやさしさ。『メサイアコンプレックス』を知っていますか?」|日本経済新聞

この危険性についても、夫はよく当てはまっている。

難しいな。
自分のために相手を利用するみたいにやさしくするなんて、愚かで意地が悪いと思う。
でも、別に、彼は悪人ではないとも思う。

私には彼が、気が小さくて、必死に自己を保とうとする弱い生き物に見える。

彼は「困ってない。困ったことなんて一度もない」って言うけれど、
何だかいつも警戒して怯えているように見える。
見下されないように必死なんだと思う。

だから、誰かの役に立つことで、自分の優位性や、有用性を確認するしかないのだ。

難しい。
私の中に湧くこの感情は、憐れみだろうか。
「ただの嫌悪感」だけではもう済ませられないから、なおさら彼といると苦しい。

彼を酷い、つまらない奴だ、とも思うし、
なんて不器用な奴だろう、という諦め、つまり受け入れざるを得ない気持も、私の中に湧いてきてしまう。

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