宇多丸よ!お前はまだ大多数の宇多丸派を知らない:②未来編
宇多丸は芦田愛菜であり、芦田愛菜は宇多丸である
スキンヘッドという風貌と、物申す感じが笑点で言えば「歌丸」だったことから、その芸名を命名した「宇多丸」(「宇多」は安易に宇多田ヒカルから借用)こと、佐々木士郎氏は、強引とも思えるロジックを使うことがしばしばある。例えば、「カレーは音楽であり、音楽はカレーである」や「私(宇多丸)はおおよそビヨンセである」などがその良い具体例である。そこで、今回、私もそのオマージュも込めて「宇多丸は芦田愛菜である」という説を唱えることによって、彼の凄さや魅力を伝えてみたいと思う。
まず第一に、宇多丸師匠はJapanese Hip Hop界のレジェンド的なラッパーであり、彼が所属するRhymesterがいなければ、日本のヒップホップ界はもう2-30年遅れていた可能性すらある。というのも、ここまで日本のヒップホップ業界が大きくなってきたのも、ひとえにRhymesterがKing GiddraやBuddha Brandら黎明期の同志たちと切磋琢磨することで、そのシーンを常に最前線で牽引し、日本語ラップの土壌を作り上げてきたからである。現に、現最強ラッパーであるKREVAが、その後3連覇を果たすことになるB Boy Park MCバトルの1999年のB Boy Park MC Battleの審判をしていたの(もちろん、その開催にも大きく関与)が、何を隠そう宇多丸氏だったことからも、如何に彼がこのJapanese Hip Hop業界をけん引してきたかが分かる(そして、現No.1フリースタイルラッパーであるR-指定が、宇多丸氏の「口だけ達者『現代っ子』『モヤシっ子』『ひとりっ子』で『カギっ子』」というパンチラインに救われたというエピソードは彼が如何にレジェンドであるかを物語っている)。
その上でである。宇多丸氏は、ラジオDJとしても超一流なのである。分かりやすいので権威を借りるが、日本の放送業界で最も権威のある賞だるギャラクシー賞のラジオ部門DJ賞を2008年に受賞している。TBSラジオのパーソナリティとしては、小島慶子氏、伊集院光氏、久米宏氏以来の快挙であった。(その後、同賞は荻上チキ氏、星野源、爆笑問題などが受賞している。つまり、世界を「宇多丸以前」と「宇多丸以後」に分けると、以上のパーソナリティは「宇多丸以後」の受賞者なのである。)そして、現在でもTBSラジオの月曜から金曜日の午後6時から9時までの帯番組「アフター6ジャンクション(アトロク)」を担当し、そのラジオDJとしての勢いは全く衰えていないどころか、「リスナーが求めてるのはお前の映画評なのだよ」©コンバットRECの予想をはるかに裏切り、リスナーの「視点の引き出し」を増やすコンテンツを充実させ続けている。
の・うえで、である。彼は超一流の映画評論家でもある。同上の「アトロク」内の「ムービーウォッチメン」というコーナーにて、毎週映画評論を行っている。何が凄いかというと、その先行コーナーでもある「シネマハスラー」時代から変わっていない作品に対する丁寧な姿勢である。その週の課題映画は必ず2回以上鑑賞し、原作、関連図書、監督のインタビュー記事についてはもちろんのこと、その監督の作品群を観なおし、それらをノートにまとめ、その研究成果の発表を25分間で収められるように練習して本コーナーに挑む。こうしたたゆまぬ努力・工夫こそが彼の評論の質を担保している。特にここで強調しておきたいことは、宇多丸氏の映画監督の「作家性」を見抜く力である。彼の頭の中でデータベース化された映画的教養は、「本作品からも見て取れるように、〇〇監督にとっては○○が一貫したテーマである」というものをその映画監督の作品群の共通性からすぐに見抜き、それをきれいに言語化してくれる。それが宇多丸氏の映画評論の最も魅力的なポイントだと私は考えている(ゴスペラーズ、Perfume、三浦大知、星野源、佐々木中、入江悠、福田里香らの才能をいち早く見抜いたのも頷ける)。
将来的に、芦田愛菜さんが医学部を卒業し、病理医になったと仮定しよう。そして、病理医で最先端の研究者でありながら、女優もしながら、バラエティー番組の司会者をこなしている姿を想像してみて欲しい。もし、そんな彼女は凄いと思ってくれた方には、こう言いたい。宇多丸はそのぐらい凄いことを今しているのである、と。
偉大なラッパーでありながら、超一流のラジオDJかつ超一流の映画評論家でもあるということは、そういうことなのである。なので宇多丸は芦田愛菜なのである。いや、3つの顔をもつ怪獣ということで、宇多丸こそがキングギドラであるということなのかもしれない。
R.E.S.P.E.C.T
私が何より宇多丸師匠を尊敬(RESPECT)しているのは、そうした異なる活動がしっかりと作品に反映されているところにある。私は彼のリリックによって救われたことがたくさんある。たしかに、気分が良い時に口ずさんでいるのはMummy-D氏のヴァースの方が多い。例えば、「本気と書いて読み方はマジ」、「Kick the verse 歌詞 蹴っ飛ばす まるでストレス飛ばす ジェットバス」、「ただしオマエらの Roots はあくまでオレだとは言っ・て・お・き・たい ぜ!」などは口に出して読みたい日本語である。ただ、どん底にいて動けなくなった時に奮い立たせてくれるのは宇多丸師匠のヴァースであることが私の場合多い。
一番を決めるのは非常に難しい。もちろん、近年でいくとOnce Again、K.U.F.U、ラストヴァース、POP LIFE、ノーサイド、The Choice is Yours、マイクの細道での宇多丸氏のヴァースもどれも素晴らしい。しかし、一つ敢えて挙げるとすれば、「そしてまた歌い出す」の宇多丸氏のヴァースである。
これは、コロナ後の世界にいる人間が聞いてもその新鮮さは失われていない。それはこの歌詞に何か普遍性があるからである。世界の状況によって左右されてしまう歌や言葉の価値。それらが世界に対して無力なのかと考えてしまうが、そうではないと。だから悲惨な世界があるから歌と言葉は重要なのである。そして宇多丸氏はそこに全賭け金を張る、なぜなら宇多丸氏本人が救われたヴァースもそうやって生まれてきたのだろうから、と。だから宇多丸氏自身もその先人から受け取ったバトンを次の誰かに渡せるチャンスを信じてそこに賭け続ける、と。彼の中に一貫してある「人間賛歌」が非常に凝縮されているヴァースだと思う。
人間ナメんな!
万物の長である人間が動物から離れてられたのも、何かに感動し、心を動かされ、救われ、それを好きになり、好きなことが好きであることを伝え、その一部になれるように努力・工夫を常にしていくことができるからであり、それって素晴らしいとことだよね、(結果として、「自分が自分であることを誇る」ようになれる)と。私自身も宇多丸師匠がされている色々な活動に心動かされ、影響を受け、それをこうしてできるだけ多くの人に師匠の素晴らしさを伝えようとしている。宇多丸よ、私は宇多丸派だ。これからもこのノートに色々なことを「休まず 描いて 描いて 描いて 描いていくんだ(©Mummy-D)」。