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宇多丸よ!お前はまだ大多数の宇多丸派を知らない:①黎明編

肩に力が入ってると友人に言われたので、片意地張らずにまた一から書くつもりで筆を走らせてみる生意気なヤツ。


宇多丸よ、私は初めっから宇多丸派ではない

スペシャルウィークということもあり、先週のCreepy NutsのANNが最高に面白かった。特に、日本一のフリースタイル・ラッパーであるR-指定と、その彼が日本で一番いいラッパーとして尊敬しているRhymesterのMummy-Dとの対談部分が最高に面白かった。特に印象に残っているのはR-指定がRhymesterの「敗者復活戦」によっていかに救われたかを熱く語り、Mummy-Dが「俺たちが勝者だよ」とまとめたところがよかった。こんな面白いラジオを唯一、ハンカチを噛みながら聞いていただろう人が一人いると思いながら笑い転げていた。

そう、宇多丸こと佐々木士郎氏である。彼の得意なポジショニングからの「君たち、どうせ全員D派でしょ」という声が聞こえてきそうなので、私はこう言いたい。宇多丸よ、私は宇多丸派だと。

中学生の頃に仲が良かった友達の影響で、初めてJapanese Hip Hopというものと出会った。Nitro Microphone Undergroundの1stアルバムだった。単純にかっこよかった。大人の階段を確実に上っている気がした。そのあと、Buddah Brand、Microphone Pager、King Giddra、KAMINARI-KAZOKUとかクラッシックを聴きまくった。特に、Buddha Brandには殺られた。今でも、「気持ちがレイムじゃモノホンプレイヤーになれねえ」という言葉はいまでもたまに思い出す。(その中でもNippsは「ダメなラッパーは肉だ」や「二週に一度は床屋で髪刈る」などパンチラインが豊富で今でもリピートして聴いている。)

Rhymesterを聴き始めるも、D派

Rhymesterを聴き始めたのは、(伝説のイベントとされている)さんピンCampのDVDを買って観た後だったと思う。Mummy-Dの「耳ヲ貸スベキ」に入る前のマイクパフォーマンスが最高に良かった。(この頃は完全にD派だ。。。)熱かった、とにかく熱かった。この人はJapanese Hip Hopを背負おうとしているな、と当時思った。一方、宇多丸師匠の方は正直かっこいいと思わなかった、当時は。彼の魅力に気付けていなかったのは認めざるを得ない。

そしてその後は、KREVAにハマって(マボロシ feat. KREVA)、彼以上のラッパーはもういないと勝手に思ってしまい、私のJapanese Hip Hopの旅はひとまず終了した。(宇多丸師匠はある時、「昔の映画は良かったが最近の映画は…とか言ってる奴ほど最近の映画を観てない。音楽でも一緒」みたいなことを言っていた。私はまさに典型的にそのパターンにいたのだと思われる。)

たぶん、2007年頃だったと思う。宇多丸師匠がテレビで高校生の悩みを聞くみたいな番組に出ていた。(後で確認すると、2010年に始まったフジテレビの1924って番組っぽいが、確実にそれ以前に見ている気がしている。)当時は、おいおい、ラッパーが何やってんだよ、と正直と思った記憶がある。その頃の私は、その場でアドバイスをもらっていた高校生のようにその方が私の人生を大幅に豊かにしてくれることをまだ知らない。(なんとBitterでSweetではないか。)そんな宇多丸師匠への印象(「サンプラザ中野みたい」な人)から徐々に変わってくるのは、水道橋博士の「博士の異常な鼎談」の彼の出演回が落ちていたので、何気なく観ていた頃からだろう。彼独特のその面倒臭いが確かに聞き心地の良い語り口は、その映画への愛情が乗っかることでめちゃくちゃかっこよく聞こえた(ゴジラからゴジラ
へ)。もちろん、その頃には既にRhymesterは活動休止から明けて、Once Againも発表していた。全く追っていなかったため、なんにも知らなかった。そう、耳ヲ貸セテイナカッタ、というわけである。

ラジオから映画へ、そして再度ジャパニーズ・ヒップホップへ

その頃から私は、宇多丸というラッパーを彼のラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」を通して再発見していく。出会った頃とは全く違う宇多丸像が出来上がってくる。ほぼ毎日のように、彼のラジオを聴いていた。特に、映画批評コーナー「ザ・シネマハスラー」はアーカイブも含めてほぼすべて聴いた。彼の映画的教養とその情熱に圧倒された。課題映画は毎週できるだけ観るようにし、批評で出てきた作品群もすべてメモってリスト化して、時間があれば観た。そして、彼の「ラジオ」での「映画」への熱量は、再度また私を”Japanese Hip Hop”へと誘った。というのも、ちょくちょく批評内で「この映画に影響を受けてこんな歌詞を書きました」とか、「この映画のテーマはRhymesterのあの曲と一緒です」と言ってくるので、Rhymesterの旧譜から新譜まで一通り聴き直した。泣けた、とにかく泣けた。これは私のために歌ってくれている歌じゃないかと。それから宇多丸師匠は私に映画を、音楽を、本を、ゲームを、アイドルを、カレーを、そしていくつかの耳慣れない概念(ア↑コガレ、低み、ババァ、ノックしろよ!、ナーメテーターなど)を教えてくれ、私の人生をその親譲りのカウンセリング能力でちゃんと狂った方向に導いてくれた。そう、私が狂ったのは宇多丸、あんたのせいだ

さて、出会い編であるこの「文字で黒く汚れた小さいノート」はここまでとして、彼に対する心酔の音については次の実際の投稿に譲ろう。


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ペテンの配達人
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