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小聡明い の一考察
ブザービートが鳴り響く体育館の中で
黒と白のユニフォームを身にまとった10人の選手達がピッチを後にすると同時に、
10人のヤングウーマンたちが一斉にピッチへなだれ込む。
白熱した試合から
高校の文化祭のような雰囲気に変わり
特定の人たちは、スマホを横に倒して撮影をし始める。
今日は、会社の人たちと飲みに行ったお話をしたい。
私の所属している営業部は、東西南北で担当のエリアが別れている。
私は、東を担当しておりまして、その東を一緒に担当しいてる仲間たちと飲みに行ったのだ。
売上を達成した祝勝会みたいなもので。
30名弱と大人数の飲み会なのだが、
5人以上の飲み会になると、一気にお話ができなくなり、寡黙になってしまう私はこの6倍の飲み会に耐えられたものではない。
なので、なるべく陰に身を潜め平和に飲み会をやり過ごすことを考えていた。
案の定、計画通りに事は進み
主に陰キャでシャイなメンバーがテーブルに集まったので
当たり障りのない「休日は何してるの?」みたいな会話で2時間が経過した。
これくらい生産性のない会話は、宝くじのようで自分にためになる話しが始まるとラッキーくらいの感覚で必死に耳を傾け
それ以外は脳死で場が回るので楽ではある。
ただ、時間の無駄と言う人も少数派もしくは大多数派でいらっしゃると思うが、
それが世話たり上手の人間であるとも捉えられる。
ただ、2時間が経過したその次の瞬間に大事件が2つ起きた。
ひとつは、席替えタイム。
もうひとつは、推しの先輩と隣になったということだ。
これが本当に予想外の出来事であり、
何をどう立ち回れば良いか短時間では考えることが出来なかったため、私はテンパっていた。
ただだがしかし、
推しの先輩は、思ったよりも自己評価が低く、
高嶺の花に見えた存在だったが、案外普通なのかもって思えた。
つい最近読んだ本にこう書いてあった。
「美しいものは、そっとしておいてあげて。
もし、それ以上を知ってしまうとせっかくの美しいものも、そう見えなくなるから。」
何となく、腑に落ちた一文であったので
その推しの先輩のことは目が合っても深い話はしないよう心がけていた。
けど、席替えで隣になってしまったばっかりにどう抗うことも出来ない。
お喋りであざとくて可愛い先輩は、自分の話と悩みと想いをこれ以上ないほどベラベラとお話をするので、
聞く手に回る他、私の立場はない。
だけどね、逆に色んなことを知ってしまったからこそ更に可愛いって思ったんだ。
知れば知るほど、可愛い存在。
また、知らなければ美しい存在。
例えてみると、なんだろうな。
アルコールがまわっていて何も思いつかないが、つまり、無敵ってことだけは言いたかった。
多分だけど、こんな私の事なんて1mmも興味なんてないし、眼中にないんだろうけど
勝手ながらこれから疲れたときの保養と癒しとして使い倒そうと思う。
ただ、ここまで記して、これこそ何も生産性が生まれない文章なので、アルコールがまわっていながらも思考を張り巡らせて考えてみたい。
あざといって何だろう。について。
よく、「あざとい女」という表現で使われることは多く、特徴が2つある。
男にはモテ、女には嫌われる、ということだ。
(実体験をもとにあくまでも一考察)
我がGoogle先生に頼ってみると
あざとい(小聡明い)とは
(1)抜け目がなく貪欲である。あくらつだ。
(2)小利口だ。思慮が浅い。
という意味らしい。
もともとは人の外見や性格ではなく、
物事のやり方や考え方に対して使われる言葉だった。
しかし最近では、特に恋愛において男性ウケがいい女性のしぐさや外見、自分をかわいく見せる言動に対して使われることが多くなっているんだとか。
よって、男心をくすぶることを知っているテクニシャンな女性は計算高くて
この「あざとい女」に該当するのだろう。
同性やライバルは、その姿を見るとずる賢いな、と人間の悪が出るのも理解は容易い。
だがしかし、それは知見の狭い人の言い分だと思う。
あざといは、小 聡明 いと漢字で書くことが出来る。
聡明とは、
頭がさえ、理解力があって
(人格にすぐれ)かしこいこと。
という意味だ。
つまり、小聡明い女性は、行動や言動に筋が通っており、男の心理や社会の立ち振る舞いを知り尽くしているのだと考えた。
大富豪やコムドットのような成功者には、
コバエがよく集っている。
実は、「あざとい女」もこの類なのではないだろうか。
羨望し妬み嫉妬するのも想像がつく。
となると、あざとい女について非難をすることは、ある意味で負け犬の遠吠えともなる。
そう捉えてみると、案外努力家で勉学を通して
「あざとい女」が形成されていると思えば
なんだかとても愛らしい。
愛嬌も才能。才能は生まれつき。
んーん、ちゃうねん、才能は覚悟やねん。
覚悟あるものが才能を発揮できる。
なぜなら、覚悟があるものは個性を出せているから。
会社の話から哲学のようなお話になってしまったので、最後に。
飲み会があった次の日、
バスケの試合を見に代々木へ行った。
選手の名前、ルール、何も分からなかった。
でも、フットボールに通ずる何かがあり、
「モダンフットボールの基盤はこのバスケットにある」
というアルテタの言葉と戦術は、腑に落ちた。
フットボールの90分の試合に比べて
ゴール前の攻防は増え、
トランジションは早いく
ファウルやタイムアウトなどによる一時中断も多いと感じた。
そこで観客に飽きさせないような会場や運営者の仕組みづくりは、見事なものだ。
試合を観て、ダンスを楽しみ、広告に気づく。
無知なものを経験することはとても価値あるものだと感じた。
もしかして、
知る、気づく、伝える
は、人生において大切な3ヶ条かもしれない。
きっと大人たちは知らないんだろうな。
あざとい女が可愛いことを。
“私はモテない”と嘆いてる女性よ。
小聡明いを勉強するんだ。
あざとい は、最強だ。
そうするとボクみたいな単純な男は直ぐに引っかかる。
案外単純な男ほど一途で寛容で優しさに満ち溢れていると思うぞ。
男前な高身長イケメンよりかは、物足りないかもしれないが
幸せは日々のくだらない話をできるか、できないかにあるのだから。
元サッカー部のやつがバスケの試合を見ながら
会社の飲み会の翌日に書いた文章なんて
きっと、あざとくはないんだろうな。
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