『放課後のプレアデス』第九話「プラネタリウムランデブー」-オルバースのパラドクスを正確に解いたE.A.ポオ-
-端本昴さん(@h_subaru)に-
「星が多すぎて、宇宙が黒く見えない。宇宙は、どこまで広がっているのかな?いつまで続くのかな?[…]あてがなくて、少し怖い気もする…」(すばる)
本ノートはアニメ『放課後のプレアデス』第九話「プラネタリウムランデブー」で取り上げられた天文物理ネタ「オルバースのパラドックス」について端的にまとめたものです。
上記のすばるの問いは「オルバースのパラドックス」に関わる問いです。「オルバースのパラドックス」というのは、「宇宙の恒星の分布がほぼ一様で、恒星の大きさも平均的に場所によらないと仮定すると、空は全体が太陽面のように明るく光輝くはず」というパラドックスです。ところがそうではないわけで、それではどういうわけなのか、ということになります。
このネットのご時世、Wikipedia等を調べれば山と出てきますので、詳細はそちらをご参照していただくとして、ここでは「オルバースのパラドックス」を正確に解いたエドガー・アラン・ポオについて取り上げておこうと思います。彼はその晩年の著作『ユリイカ』のなかでこの「オルバースのパラドックス」を正確に解きました。彼は次のように回答を出しています。
数ある天文学上の謬見の中でも、星の宇宙が絶対的に無限であるとする考えほど支持しかねるものはない。にもかかわらず、これほど頑迷に固執されてきたものもない。それが有限である理由は、既に私がア・プリオリに解説したとおりであるが、これに反論するのは容易でないように思われる。しかし、そういう理由をあげるまでもなく、観測によっても、我々の周囲の、あらゆる方向とまでは言わぬまでも、数多くの方向に絶対的な限界があることが確認されている――或いは、少なくとも、その反対の考えを支持するようないかなる根拠も見出されていない。星がどこまでも無限に存在するとするならば、空の背景は、銀河の背景の場合のように、一様に輝いて見えるはずである――なぜなら、その背景の全域にわたって、星が存在しない地点は絶対にありえないからである。そのような状態にありながら、なおかつ数多くの方向に虚空を発見していることを理解しようというのなら、その唯一の方法は、その目に見えない背景までの距離があまりにも遠いので、そこから出た光が未だに我々のところまで届かないのだと想定することである。(E.A.ポオ『ユリイカ』)
1965年に宇宙背景放射が発見されました。これに基づくと、現在我々が見ている宇宙の暗闇は、何もない無限の空隙でも、見えない星があるのでもなく、約137億年前のビッグバン後しばらくたってからの宇宙の姿です。ビッグバン後38万年までは、宇宙は原子核と電子がばらばらに存在して光は自由に動けませんでした。しかし、宇宙の拡大とともに3000Kにまで冷やされた時、原子が生成されて初めて光が自由に動けるようになりました。 これは宇宙の晴れ上がりと呼ばれていますが、この瞬間からもたらされた熱放射は宇宙膨張による赤方偏移によって冷やされ、およそ1000倍の波長、目で捉えられないマイクロ波の電波を主体とする2.7Kの温度にまで長く引き伸ばされています。私たちが現在見ている夜空の暗い背景は、実はこうした原初の宇宙の輝きの放射で覆われているということになります。
「オルバースのパラドックス」の解決には、かつての定常宇宙論かビッグバン宇宙論か、という論争には特に直接影響があるというわけではありませんが、一応述べておきますと、ポオの宇宙論はビッグバン宇宙論と同じく流出論(放射説)的です。ポオはビッグバン宇宙論へと発展していく「超原子」というアイデアを発案した人でもあります。ポオの時代においては、宇宙背景放射は発見されていませんでしたが、彼は『ユリイカ』において、銀河中心には巨大ブラックホールが存在すること、膨張する宇宙の時間軸を逆に辿れば、最終的にあらゆる科学法則、原理が破綻する特異点が存在することなどを正確に幻視(vision)しています。さて、過剰評価ではと突っ込まれることを覚悟で書きますが、「オルバースのパラドックス」について、上記の彼が解いている箇所を見てみましょう。まずポオの議論はあくまでも「星の宇宙」から書かれていることを念頭に置いておきましょう。「虚空」は星の存在しない地点と考えてみましょう。この「虚空」を発見しているということを理解する唯一の方法は、「その目に見えない背景までの距離があまりにも遠いので、そこから出た光が未だに我々のところまで届かないのだと想定することである」とあります。これはみなとが「光の速さより先に伝わるものはない」と述べたのと同じように、光の速度が有限であることを踏まえた発言です。この星の存在しない地点である「虚空」を、現在の私たちが見ている137億年前のビッグバン後しばらくたってからの宇宙の姿だと考えてみましょう。そこでは星はまだ誕生していません。最初の星はビッグバン後二億年経ってからだと言われ、それは観測可能なのです。原初の宇宙の輝きとしての宇宙背景放射が発見されてはいますが、星の光線が届いていないとした理由を星がまだ形成されていないためであると解釈するならば、ポオが私たちに提供した、一篇の詩である『ユリイカ』は、科学知識の古い新しいを問わず、未だにその生命の息吹を保っているということができるでしょう。
私がここに提唱するものは真であります。――それゆえに不滅です。よもや踏みにじられて死ぬことがあろうとも、それは「再び永遠の命に蘇る」でありましょう。ともあれ、私の死後、この作品がもっぱら詩としてのみ評価されんことを切望してやみません。(E.A.ポオ『ユリイカ』序)
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『放課後のプレアデス』を、私は端本昴さん(@h_subaru)からご紹介いただきました。本作品を紹介された当時はこの「オルバースのパラドックス」と同じ問いが出されていたなどとは思いもよりませんでしたので、この場面に辿り着いた時、とても感慨深かったです。「あらゆる事象はゆくりない巡り会いである」というのが本作品の主題の一つにもなっていると思います。本作品にはこれ以外にも多数の宇宙天文物理ネタに加え、実存哲学的描写も織り交ぜられています。個人的には至極の名品だと思われます。ご紹介いただいた昴さん、及びこのような作品を世に出してくれたGAINAXの制作陣には感謝の意を表したいと思います。そしてこの記事が未見の人には簡単な本作品の紹介を、また既に見られた人には意味内容の「受取り直し」の側面を持たせることができたならうれしく思います。また機会があれば、本作品の別のネタも取り上げたいと思う今日この頃です。
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