あたらしい住まいとカルティオのグラス
引っ越しをした。東京アドレスに未練を残したまま、神奈川の工業市へ移った。駅からは積極的にタクシーを使いたいくらい遠い(私の足だと30分近くかかってしまう)し、職場へも1時間くらいかかるようになった。
けれど、唯一良いと思った真南向きでリビングから視界を遮るもののない解放感あふれる部屋は、私の心を少しおだやかに、おおらかにしてくれている気がする。マンションという気密構造にまだ慣れることが出来ず、しっかり寝付けない日が続いてるけど。
住まいを変えて、変わったことがほかにもある。水を飲むグラスが変わった。それまではいつもなんとなしに、裏にMade in Franceとかかれたありふれたガラスのコップを使っていた。それが特別好きだったわけではないし、海外で買ったデザイナー物のガラスカップを日常使いしてみようとトライしたこともあったのだけれど、なんとなく手に取るのはそのMade in Franceだった。
けれど、引っ越してきたとたんに、それまでは全く見向きもしなかったグラスを使うようになった。とある方の出版祝いにもらった、カイ・フランクのカルティオ。北欧らしく、シンプルで素晴らしいデザインだけれど、自分の家で使う姿はイマイチ想像しがたくて食器棚の中でおとなしくしていたそのグラスを、引っ越してきて突然使いたくなった。その日以来、水を飲むときは必ずカルティオで飲んでいる。
暮らしや環境が変わると、使いやすい、というよりももっと無意識のレベルで使いたくなるものが変わるのかもしれない。以前はあまり魅力に感じなかったカルティオの少し厚めでおだやかな透明さを湛えたガラスや、まんまると手に馴染む質感が、今では水を飲むのに最高のグラスなんじゃないかとさえ思っている。
くだんの”Made in France”は、もう少ししゅっと細身で薄く、シャープというよりは若さを感じるグラス。もしかすると、これまで住んできた部屋部屋(大学時代から数えると、これが5回目の引っ越し)の気配や光のあたりかたとは違う、新しい部屋のおおらかな光が自然と私に作用して、私はカルティオを手にとったのかもしれない。たとえそれがデザインの巨匠の作品ではなかったとしても。
まとめみたいな、格言みたいなものはうまく浮かばないけれど、好きなものや使いたいものって理屈じゃないな、って思った。