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習慣について

始めようとしても、余計な誘惑が多くてやるべきことが一向に進まないことが多い。書き留めたいことがあって手帖を開き、まわりのページをぺらぺらとめくっているうちに「あ、これも書きたかったんだ」ということがふつと沸いてきて、それを書き綴っているうちに肝心の「書き留めたいこと」を忘れている。なにか調べたいことがあってスマホを取り出し、気が付くとinstagramなんか見ていて少なくない時間がすぎていたりする。

自分が注意力散漫になっているのか、機器類がマルチになりすぎて注意力散漫にさせるのか。どちらもなんだろうけど。

作業をはじめても、ひとつずつ解決していかないと、それが気になって前に進めない性分なのでこまごまとやっているとあっという間に一日がすぎていく。「ああ今日なにやってたんだろ」といつもひとりごちる。

ひとまず、今日はここ1年以上行きたかった店に行き、買いたかったものを買ったので、しばらくはそのことが頭をよぎることはなくなるので、CPUが少し楽になったかな、と思う。その分他のことが頭を占めるんだろうけど。

思い入れのあるパン屋さんにも行ったけれど、なんだか雰囲気がヒッピーになっていた。もう思い入れを引きずらなくていいやという面で良い訪店だったなと思った。

こんな風な行きあたりばったりさがいけないんだろうな。もっと習慣が必要。古賀さんがnoteで「習慣とは文章の句読点やカギカッコ、疑問符や感嘆符みたいなもので、それのない人生(文章)は自由なようでいてひどく不自由なものじゃないかと思ったりしている。」と書いていた。その通りだと思う。習慣は、自分のリズムを作るもの。美しく音読して、その人らしい文章にしていくのに必要な句読点。

最近の習慣のなさ、すなわち怠惰さに嫌気がさしてきているので、あらためていこうとおもう。おもう、って、無責任な言葉だよね。


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