音の重なりと隙間
無意識に、いいなと思うピアニストには左利きが多い。
というほど、クラシックやピアニストに明るいかといわれると全然違うのだけど、それとなく聞いていて「いいな」と感じるのは左利きが多いのだ。たぶん。統計を取ったことはないけれど。
理由。まず、フォルテを叩く鍵盤の音。
曲の高まりにあわせて感情が入ってくると、利き手に無意識に力が入り、音がどうしても強くなっていく。それは特に薬指が叩く音に顕著に表れる。と個人的には思っている。だって、薬指って指の中で一番不器用でしょ。薬指だけ曲げるのは私には至難の業だ。だからどんなに高い演奏技術を持った演奏家でも、どうしても薬指は気付かぬ間に他の指より粗雑になってしまう。右利きのピアニストが曲のクライマックスに薬指で叩く高音のキンとした音は、それまで保たれていた音の均整を壊してしまう気がしてならず、次第にその音ばかりが気になってしまう。キースジャレットの曲は好きなのにピアノの音がどうしても気になってしまうのは、たぶんこれが原因だろうなと勝手に思っている。
その反面、左利きの人は中低音側の左手に力が入るから、悪目立ちしないというか、中低音好きの自分にとってはむしろ好ましい。というのが、ずっと思っていた左利きが好きな理由。
でも、最近ビル・エヴァンスを友人に薦められて聞いていたら、自分が左利きのピアニストが好きな理由がもっと見えてきた。気がする。
ビル・エヴァンスは、言わずと知れたジャズ界の巨匠。日本人気もTOPを争うくらい。恥ずかしながら友人に教わるまで私は知らなかった。(そのくらいの知識なもんさ。)
聴いてみると、とてもいい。自分の語彙の少なさを露呈させるような感想だけど。「オトナが聴くおしゃれなジャズ」の王道なのはもちろんのこと、なんだろうか、もっとこう、音が情緒的なのだ。音が人間味を帯びているというか。生きている音だという感覚。一律ではない音たち。
ビル・エヴァンスのピアノの音は、時折ほかの楽器の音とほんのわずかにズレる。それによって、音同士が重なり、くぐもったような別の音、もしかすると音にもならない空気の隙間みたいなものが一瞬発生する。その言語化も、きっと音符にも出来ないあいまいな瞬間が何より心地よいのだ。そう感じて思い返してみると、好きなピアニストたちは大抵、音の隙間や重なりを持っている。
では、ビル・エヴァンスはじめ左利きのピアニストにそう感じることが多いのはなぜかと考えると、それは脳にまで話が広がってくる。私は右脳左脳論者ではないし、専門知識もないんだけど、左脳が論理をつかさどり、右脳は感覚をつかさどる、ということは知っている。
つまり、左脳は論理的、楽譜的、メトロノーム的に音を奏で、右脳は感覚的、情緒的、感情的に奏でる。だから左利きのピアニストたちは、曲の高ぶりに合わせて自分の情緒やリズムを無意識のうちに音に反映しているのではないか。右利きは同じペースで揺らぎのなく演奏するようにこちらも無意識に組み込まれている。
一概には言えないと思うし、優劣でもないし、全く的外れな考えなのもしれないけれど、ビル・エヴァンスのピアノの音は、きっとその揺らぎによって魅力を増している。なんだかそんなように私には感じる。
自分の中の音への意識に気付いたら、さらに音楽を聴く時間が幸せになった。