もう遠い世界 ・・
「トールキンは実は『現実から逃れる』ために『ファンタジー』というフィクションを書いたのではなかった。むしろその逆で、彼は現実世界についてより多くを知ろうとして、それを書いたのだ。」
「時を越えた視点からそれらを見ることだ。」
「神話や妖精物語というような原型的な世界は、現実の代用品あるいは現実からの逃避先としてつくられたのではないと彼は信じていた。それらは、われわれが本当に現実とかかわるための手段なのである。」
わかる。
ロード・オブ・ザ・リング(エクステンデッド)、ホビット、映画全部で6続けて見ました。それから図書館で本借りてきました。
映画面白かったです、とても。ずっと昔に読んだ本のイメージ通りでした。
いつ頃読んだのかもはっきりおぼえてませんが、その時は全然わからなかったいろんなことに、今回は気づいたり考えさせられました。
一番感じたのは、これ日本神話じゃないかと。日本神話のほんとのとこを知りたいと、ずっと思っていましたが、ヒントは意外にもこんなところにあるのかもしれない。
時を超えた視点
本を読んでいるというその時は、“ここ”にいないんですよね。
“ここ”です。このとんでもない今。ここにいないということは、キョリ的にもここがかなり遠くなってます。どこかに書いてあった気がするけど見つからないけど、“時間からも自由になっている”。
時間からも解放されてるわけです。ここの。
遠いですね、すごい。
何かを識るには、遠く離れるのが一番です。
身近なことでも、10年たって、ああ、と思うこと、誰でもあると思います。時間もキョリも同じなんですね。
そういえばどこかに、キョリと時間は同じものだとか書いてあったような。キョリを移動するのは時間でしょう。時間のない世界にはキョリもないそうです。なるほど。
離れて離れて離れたら、もう時間もないんですね。
物語の世界にいて、読み終わって、それは本の中。遠いです。時間も超えてますね。ページは時間だ。
それは、この世界も同じ。
キョリは視点で自由になるんだ。視点は養うもの。自由なもの。
世界はもう遠い。
ファンタジーの世界がじゃなくって。この世界が。
この世界にワタシがいるんじゃない。ここに、視点が、来てるんだ。遠くから。
本を読む時もいつも映画を見てるようだけど、リアルな映像を見続けたせいか、脳に刺激があったようですね。
エルフの世界の空気に、懐かしさを感じました。リーナちゃんは私のガラドリエル💎🤍?