岩と地球と無
たまたま岩石の話になったので、津和野から海へ抜けて見に行った岩のことを。
ここもずっと前に行ったことがあり、いつかもう一度行けたら、と思っていたのです。
大きいです。そして足元はけっこうコワいです。その後変わってなければ、すべったら落ちるかもという感じです。この上からじゃなくて、途中の平ぺったいとこから海へですが。
近くに立ってると、古代遺跡にいるような気分になります。
そうか、町とか城、神殿などの古代遺跡も、その土地の力の集合地点だったりするのですよね。人が造ってるんだけど、石や大きな木や土を使ってて、もっと大昔は巨岩や巨木の聖地だったのの形が変わったもの、というだけで。
海を渡ってくる人達の、目印にもなっていたそうです。たしかにかなり遠くからでも見えそう。どんな思いで見ていたのでしょうか。
須佐
スサノオさん縁の地であるようですが、はっきりしたことはわかってないようです。かくされているのでしょう。
砂岩層と泥炭・頁岩層のシマシマ。須佐のホルンフェルスと言われてきましたが、正確にはホルンフェルスではないらしく、観光の名称も今は“畳岩”となってることが多いようです。
巨岩の聖地でも静かにそこにいると地球を感じますが、とにかく大きいので、また違った、なんというのか、自分がいなくなるような感覚があります。
山の頂上で、大海原の真ん中で、もしかしたら星野道夫さんが雪の大平原で感じたものとも似てるのでしょうか。
大陸
島
海、海、海
たくさんの人
すべてが小さく見えます。大陸さえ。
地球として見れば
地球だから。
私は地球だから。
🌏
私はいる
私はいない
無
いるけれどいない
だから、大丈夫
すべて
それでいい
ついでなので前に書いて写真はなかった、片目の見えてなさそうなカエルさん。
テルルちゃん発見!と買った津和野の源氏巻、季節限定。
山口市の教会で引かせてもらったおみくじ。
あれ、カエルさん書いてなかったっけ。記事見つからない。
須佐の後、別府弁天池の水汲み場で会いました。犠牲、弾圧、苦しみについて考え続けていた頃でした。