たった250円の募金で葛藤した話
2019.10.15 Lemi
駅の出口で募金活動をしている団体が2組。
募金したお金は、支援を必要としている方に届くプロセスが見えないし、直接目で見て確認することができないから、個人的にあまり好きではないんだけど。
だけど、今回の団体は、台風19号で被災した方への支援金を募る共産党と、同じく被災した動物たち(主にペット)への募金を募るNPOだった。
いつもは素通りするけど、今回は流石に、心が苦しくなった。私も死ぬ覚悟したくらい、今回の台風19号が怖かったから。そして、運良くなんの被害も無かったこと、奇跡だったと思ってるから。それはちゃんと感謝しなきゃいけないことだし、「被災しなくて良かった」で終わらせるのがなんとなく今回は嫌だったから。これだけ被害に遭われた方が大勢いる中で、「被災を免れた人の責任」もちょっと感じてた。ちょうど昨日、そのことを友達と話してた。
素通りする時、すごく心臓がバクバクするくらい苦しくなって、ちょっと立ち止まってお財布の中を確認してみた。
100円玉が1つと、50円玉が3つ。全部で250円。
自分ができる範囲で募金しようと決めてたから、この小銭をどう振り分けようと考えた。
私が出した答えは、被災に遭われた「人」への募金は100円(50円玉2つ)、
被災に遭った「動物」への募金は150円(100円玉1つと、50円玉1つ)。
ちっぽけな募金で、悩むことはないかもしれないけど、私なりにすごく悩んで出した答え。
理由は、
「人」への支援は、他にもする人がいる。「人の命」が最優先事項だから。
でも、「動物」に手を差し伸べる人は限られてる。彼らも私たちと同じ価値の「命」を持っていて、助けを必要としているし、彼らは絶対に自分たちだけでは生きられない。
本能をほぼ無くした「ペット」として飼われていたから、いきなり飼い主がいなくなって、生き残れるわけがない。
それなのに、彼らは避難所にも入れなかったり、見捨てられたり、いつも後回しにされている存在。
だから、私はたった50円だけど、彼らの方に多く入れた。
たかが250円の募金に、こんなに葛藤して苦しむとは思ってなかったけど、普段あまり募金しない私にとっては良い経験になった。
次は「お金」じゃなくて、「人手」として誰かの支援をしてみよう。
余談
それから、すごくどうでも良いけど、私、募金する前はこのお金で焼きいも買おうとしてた 笑
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