ゆるーく、ビーガン(のように)になろうと思います。
2019.6.29 Lemi
ゆるーく、ビーガンになろうと思います。
動物がどうやって肉になっていくのか、卵がどんな鶏から産まれるのか、牛乳がどんな環境下にいる牛から搾られるのか、そんな現実と最近、しっかりと向き合いました。
今まで「知らなかった」という責任の重さと、愛のなさを痛感しました。でも、知ってしまったら、同じことを繰り返さないように、自分でできることをするしかない。
私は、ただ「肉・卵・牛乳は飲まない、食べない」というわけではなく、動物に配慮されていないものが嫌なのです。
逆に、放し飼いで健康的に育てられた鶏からの卵だったら、買って食べれます。
動物に十分に配慮されたプロセスを経た肉だったら、拒絶しません。
(肉・卵・牛乳だけではなく、形を変えたチョコレートなどのお菓子も、パンも、同じです。
また、動物だけではなく、人や環境に配慮されていないものも、できる限り選ばないようにしています。)
でも今の、効率性と利益だけを追求した大量生産社会では、「命をいただく」という有り難みに気づけない。
「いただきます」とは言うけれど、こそに「命をありがとう」と心を込められる食べ方はしていないと思います。
少なくとも私はそうだったので、だんだんと苦しくなっていって、その有り難みが分からなくなってしまう食生活はもうやめたい、と思うようになりました。
もともとベジタリアンだったわけじゃないし、食卓には毎日のように肉や卵、牛乳があった環境で育ってきたから、急にビーガンになるのは難しいです。
でも、できることはちゃんとする。
大好きなオートミールやスムージーに入れていた牛乳も、牛たちのことを思い浮かべると、親から引き離された子牛のことを考えると、豆乳にするのなんて、少しの我慢をするのなんて簡単にできることに気づきました。
学んで、現実を知る度に、本当に少しずつだけど、私の行動や習慣が変化していって、家族には「急にどうしちゃったの?」って言われます。理解を得ることは、家族でも難しいんだなと思ったくらいです。
「そんなこと言っていたら、何にも食べられないよ」とも。
だけど、逆に「キリがない」と言って同じ食生活を続けたら、悪循環は断ち切れない。
私の行動で、引かれることもあるし、私と一緒にいて嫌な気持ちになる友達も増えると思います。
だけど完全に食べないわけではないし、外食もたまにするし、食べることが嫌な訳でもないけど、「なんで」と聞かれたら、きちんと主張はしようと思います。
最近、少しずつ母が理解してくれるようになりました。
言い方変えると、理解しようと努力してくれています。
食材を買うのも、料理をするのも母だったから、「肉・卵・牛乳とか買わないで」って言えないし、その代用品を買おうとしても、本当に高くて、あまり裕福ではない状況からすると、それは母や家族を苦しめることになると思いました。
しばらくは「私のものは買わなくていいよ、料理も自分でする。野菜も育ててみるね。」と、無理強いはせずに、まずは自分で行動しようとしていました。
それでも母は、食品の裏に記載されている原材料をチェックして、私のために遺伝子組み換えではない食材、有機野菜や、お肉の代用品になるものなど、多少高くても、買ってきてくれます。(私は「買って」と一言も言っていません。)
そんな母を見て、少しの罪悪感で、心苦しい気持ちになるけど、その理解しようとする姿勢が本当に嬉しいし、心から感謝しています。
「自分1人でやっても、意味あるのかな」と思っていた私も、私1人でも行動することで家族の姿勢も変わっていくということを今、体感しています。
それが嬉しくて、文章にして残しておこうと思いました。
読んでくださって、ありがとうございます。