「確率の受難者」としての人狼 ~「どうして私だけが」の慟哭~
一生懸命生きていると「しんどい上に、孤独な時」が襲い掛かってくる。
「こんなに大変なのに誰も分かってくれないし、誰も応援してくれない、ひとりぼっちだ、誰も自分の苦労を分かってくれない」
そんな時が必ず来る。
大きな視点で見たらその人は、周りにいる誰かが
「それならこーやって、あーやって、そーすれば解決するよ」
とチョチョイのチョイで解決することができない問題に取り組んでいる。
その人が手を伸ばせる世界における前代未聞の超難題と格闘しているわけだ。
そこにはきっと(解決できなくても)実績や経験値、レジリエンスの向上につながるかけがえのないものがあるのだろう。
ところが上記はあくまで大きな視点。マクロな世界からのモノの見方。
私たちは私たち個人の視点から逃れることはできず、上記のマクロ視点はある種、現実逃避に過ぎない。実際には
「なんで自分だけこんな目になっちゃったんだろう」
という不運に嘆いたり、耐え忍んだり、麻痺しながら戦い、眠るしかない。
「どうして私だけが」という
「確率の受難者」に、人は誰でも陥りうる。
僕主宰の団体「表現集団りでんぷしょん」の今回の舞台「怪物慟哭」では狼人間、人狼が登場する。
キリスト教的価値観のヨーロッパで生まれたこの怪物は駆除され、制圧する対象として何百年も描かれ続けてきた。
それと同時に数百年前の西欧では異端者を魔女狩りとして火あぶり水責めにして、何万人の人々の命を奪ってきた。
『周りの人間より毛深いから』
『薬草の知識が豊富だから』
『満月をよく見ていたから』
そんな理由で、平気で誰かを差別し、拷問し、死なせてきた。
当然キリスト教の問題だけではなく数百年前の世界は日本も含めてこうした蛮行が平然と行われてきたし今、世界中で起きている戦争だってそうだろう。
そういう歴史(と現実)を思い起こすと殺された者のことを考えてしまう。
「どうして自分だけこんなことになっちまったんだろう」
そう思いながら命を奪われるのではないか。
サイコロの出目が「違い」という「絶望」にあたってしまった「確率の受難者」が目に見えないだけで歴史的事実として存在しているのだ。
人狼もそういう存在だと思う。
生まれつき肌の色や毛の量が他の人と違っている人々や村で頭がおかしくなってしまった人々は「人狼だ」と罵られ、村八分にされる。
もし、その人の見た目が狼そっくりでも、狼の群れに仲間として加えられることはないだろう。
人でもあり狼でもある存在は、人にも狼にも受け入れられない。
人でもなければ狼でもない孤独な存在になってしまう。
その時、人狼という確率の受難者はこう心の中で叫ぶに違いない
「どうして私だけが」
でも、その慟哭に耳を貸すものはいなかった。
何故なら当時の人々にとって「人狼」は倒すべきモンスターにすぎなかったから。
でも、その惨たらしい数百年前と比較して現代日本においてほんのわずかに希望があるとすれば「多様な価値を吟味できること」だ。
「人狼は本当に悪い奴だったの?」
と疑問に思っても1世紀前なら等閑に付す妄言でしかなかっただろう。
ところが今は違う。国籍、ジェンダー、家族観、ライフスタイルなど様々な事柄が「多様性」という観点で「本当に●●なの?」と「当たり前」が問い直されている。
「人狼とは、本当に悪だったのか」
という疑問は、当たり前を問い直す議論の延長線上にあると私は考える。
これは人々を惹きつけ、やもするとパラダイムシフトが起きるかもしれない問いだから。
数百年前に「異端」であると蔑まれ倒されたはずの「人狼」も
現代社会で「当たり前」「普通」からはみ出して苦しむ人々も
歴史や国の時空を超えて
「どうして私だけが」と哭いている。
そんなふうに、私には世界が見える。
フランケンシュタインの怪物も
ジキルとハイドも
半魚人も
現代人が根底に持っている恐れや悲しみを感じつつその恐れや悲しみそのものとして描いてきた。
でもその怪物たちは人知を超えた「魔力」がある。その魔力は人間の理屈を超えた現実を超える力だ。
私たちが生きる現実は決して薔薇色でもなく私を含め大多数の人々にとっては灰色で、歪んでいて、平和には程遠い。
演劇という非現実の装置を使って、非現実の怪物を生み出し、怪物の魔力を使って、この辛くて苦しい現実を1㎜でも変えられたらいいな。「怪物劇場シリーズ」はいつもそんな気持ちで創作している。
どれくらい私の個人的なこういう気持ちが舞台を見に来てくださったお客様に伝わるかはわからないです。
し、伝わったからといって良いとかそういうことではありません。
照明ビカビカ!音響ドーン!人狼グワー!
な見た目の演劇に「ああ~~面白い劇~~」と思っていただけるだけで本当に嬉しいんです!!!!
でも、さらに「どうして私だけが」と辛い思いをする方々にこう思っていただければと思います。
「これは、私の物語だ」と。
9月21・22日 メルシアーク神楽坂
舞台、「怪物慟哭」ご期待くださいませ。
その期待を超えるのが #りでんぷしょん
です。