見出し画像

現代は好きなものに対する敷居が。

今日はnoteを投稿し始めて3日目だ。
要するにそういうことだ。非常に危うかった。

今までも3日のうちに燃え尽きることが多かった。
特に多い例でいうと、スマホのゲームなどは1日燃え盛って2日目、3日目にはすっかりぽんしている。その他に芸能人などにもあまり興味がないので、同年代と一緒になって盛り上がる話題も見当たらない。SNSで新たな友を見つける人たちも、触媒となるのは「好きなもの」だ。そんなに何かが好きであるということは、大切なのだろうか?


現代は個性が求められる時代である。
就活などは一部業界を除いて未だに画一的な黒髪・黒スーツというスタイルが踏襲されている。これに対してある企業による#就活をもっと自由に という宣言も記憶に新しい。

大学は高校までのような校則もなく、服装も髪型も、学校に来るかどうかも自由という不思議な世界だ。若さのピークでもあるため、今の大学生たちは個性大爆発と言っていい。
個性といえば、「好きなもの」だ。
ある人は古着が好き、ある人はレトロ雑貨が好き…といったような、ここまでは普通かもしれない。ああ私も好きだ、僕も持っているという人も多くいるだろう。だが現代は、普通の「好き」では「にわか」と言われ敬遠される。逆に本人も舌を巻くような知識を知っている人たちが「個性的!」と崇拝される。広く浅くでは誰にも受け入れられないのだ。

インターネットが発達した今でも、何かに興味を持ってすぐに深い知識を手に入れられるわけがない。そんな世の中でせっかく自分の好きなものに興味を持ってくれた人をどんどん否定していくのは、ゆくゆくはそのコンテンツを消してしまうことにもなりかねない。
好きなものや趣味を見つけるのは大変なことだ。
でも、見つかりさえすればツラいときの支えにもなり、余暇の楽しみがスマホだけではなくなる。にわかの状態がこわいのも分かるが、心無いことを言ってくる人はちりめんじゃこに混入したカニレベルの人だ。ごくまれにしかいない。普通のちりめんじゃこ達はなんとも思っていないから言わないのだ。

せっかくの春だ。出会いや別れ、フワフワした期間がやっと通り過ぎた頃だろう。今ならカニたちも油断している。

安心して好きなことを探してみてはいかがだろう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?