新丸ビルが遠い
連日、2011年3月11日のことを書いてます。
と言っても当時のmixiから転記しているだけですが…
丸ビルから新丸ビルへは東京駅前のでかい道を渡るだけ。 しかし、やたらと駅はどこか、とか、交番はどこかとか尋ねられて進まない。つか、アタシも旅行バッグもってるんだからサラリーマンとかに聞けよ!
と思いつつ新卒で勤めた会社の本社は大手町だから案内できちゃうんだよね。
私のことを探してる人がいると思うと凄く焦るんだけど見捨てるわけにもいかなくようやく道の反対側についたのが19時くらい。 東京駅から目の前の新丸ビルまで1時間もかかるとか(汗
「すみません。避難所はどこ?」
英語が聞き取れてしまって反応してしまった。 振り向くと赤ちゃんを連れたインド人風の女性がベビーカーを片手に立っていた。 話せないのに聞き取れるという嫌ーな耳と脳みそを持ってるワタクシ。
確か丸ビルは簡易宿泊所の準備をしていたなと思い。
「ジス ビルディング。ジス ロード クロス。」
と完全な日本語英語で身振り手振りで話し 横断歩道の前までベビーカーを運んで案内した。 彼女は少し安心したようで色々と英語で話し始めた。
「地震が起きてからこの子は何も口にしていない。ミルクを飲ませたい。 警察官に相談しようとしたけれど交番がみつからなくてずっと探してた。」
私ですらこれだけ慌てたんだから異国で言葉が通じない上に赤ちゃんを連れていて、さぞかし心細かっただろうなと胸が痛くなったが英語で表現できない。
「大変だったな。あと少しだ。頑張れ。」
彼女の肩を叩きながら日本語で伝えた。落ち着いたら英会話勉強するよ。頑張るよ。 自分の無力さを痛感しながら彼女が横断歩道を渡り丸ビルに入るのを見送った。 ていうか私自身も今、迷子な状態なのになんで人の世話してるんだろう。
気がつくとあたりには人影もなく、もう真っ暗。物凄い勢いで孤独感に襲われた。 でもこの場所で正しいはず。ウチの会社はそんなに冷たくない。信じよう。 そう思いつつ不安で、急に寒くなってきた。マジで帰りたい・・・。
「かおりさん!!!」
聞き覚えのある声。ウチの組織の世話役の女性だ。
「!!!」
私は走って彼女に飛びついた。涙があふれてきた。彼女も泣いていた。
「ごめんね~一人にしてごめんね~。」
「アタシこそ心配させてごめんね~。みんなは無事?大丈夫?」
「みんな建物の中に避難しているよ~。」
中に入ると、みんな携帯を握ったまま駆け寄ってきた。 みんなグシャグシャになって泣いていた。あーすごく心配させてたんだ。 何を話したかは覚えていない。けど、ごめんねとよかったを連呼したのは覚えてる。 みんなの顔をみたら安心したのか気が抜けたのかその場にへたり込んでしまった。
つづきます
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