カナダで16歳の時にホームレスになった話 後編
https://anchor.fm/nomadworker/episodes/16-ea285c
※以下のノートは上のポッドキャストのノートになります。
ポッドキャストで聞いていただいた方が分かりやすいと思いますのでよろしくお願いします:)
これはカナダで16歳の時にホームレスになった話 前編の続きです↓
母親のちょっと異常な癇癪とか
それに対する家族の対応とかに少し疑問感をもちながら
普通に生活を送っていました。
学校は家から車で20分くらいで、
バスで行けないこともないんだけど
行きは車で送ってもらったりしていました。
それは父親だったり、母親だったりその時のスケジュールの都合といった感じで。
母親は私のことを気に入ってくれていました。
朝の行きの車の中でも他愛ない世間話とか絶えず。
娘とは学校の中でたまにすれ違う程度。
授業も確か一つくらいしか被っていないのでほとんど会わなかった。
余談ですが学校に昼ごはんを買うところがあったのですが、
これがもう不味くて仕方なかった。(笑)
なので私は昼休みに学校から抜けて
スーパーに買いに行ったりしていました。
後から知ったんだけど、休み時間に外出したらいけないらしくて
他の抜け出した子に「見つかると注意されるから気をつけて」と言われる。
あとうちの学校には制服(!)があったのですが、
これの着方のルールは何もありませんでした。
スカートの丈もミニだろうが膝丈だろうが超ロングだろうが
なんでもいいし。
でも上着にはルールがあったようで、
私は普通にZARAかなんかで買った特に派手でもないジャケットを着ていたのですが、スクールカラーに反するから違反だったり。
というか学校のルール的なものをまとめたルールブックとか
何一つこっちに伝わってないので、知らずに過ごしてしまっていたんだよね。。
ちなみに海外の学校ではクラスごとに教室が変わるので
自分で移動しなければなりません。転校初日から!
ちゃんとした体制がある学校にはバディシステムがあるけど
私が通った高校2つはそんなものはなかったので、
場所がわからなければ自力で見つけ出すしかない。
まあでも臨機応変に対応できるようになったのはいいことかも。
よくあるアメリカのドラマで主人公が転校1日目に
クラスの場所がわからなくて困っているの。
あれは本当。
放課後は特に部活動にも入っていなかったので
市がやっているキックボクシングクラブに参加することに。
これは楽しかったですね。
あとは数学(というか数字全般が苦手)のチューターにもたまに通ったり。
結構真面目に過ごしていました。
校風は前の高校とはかなり違う感じがした。
国ももちろん違うんだけれど、前の学校は(寮生は特に)家とか本人になんらかの問題があって地元の高校に通えない・地元の学校がやばいから通えない人が集まっている印象があった。実際問題児も多かった。ドラッグとか喫煙とか飲酒とかその他いろいろ。
けれどこの学校は結構エリート(学校の成績とか内心的なことも含めて)という印象があり、エリートでもなんでもない私が通っているのがちょっと変な感じも実際した。両極端な学校に来てしまったなという感じ。
夕飯は家族揃うことは週末以外はあまりなかった。
だいたい母親は何かのボランティア活動をしているし、父親はよくわからないがあまりいなかった。それは結構気休めになる。私と子供だけだとマカロニアンドチーズを作り、居間でテレビを見たりしてダラダラすればいいだけだから。特に会話しなくてはいけないというプレッシャーもない。
皿洗いはこの家の子供と同じように洗う人と乾かす人の当番制になっていた。ただ、みんな子供といっても高校生だし当番を巡って争うこともない。
父親が帰ってくると、私は彼と居間でヨガをした。その当時私はヨガを覚えたてだったので、彼がコーチになってくれた。居間で2人でヨガをするのは結構ルーティンになっていた。
ある日母親がボランティアから帰ってきて私と父親がヨガをやっているのを見た。彼女は「私も今度から一緒に参加しよう」とかいって笑っていたのを覚えている。私も一緒にやろうと言っていた。
ここで一つ明確にしたいのは、私と父親はオープンスペースの居間でヨガをやっていた。隠れて部屋で2人でヨガをやっていたわけじゃない。長女とか長男がいればそこでテレビこそ見ないものの喋りかけてきたり、何もやましいことは一切ない。別に家族の誰かが家にいようがいまいがそこでヨガをやって解散するだけだ。ただ、ポーズで間違っているところがあれば父親がそれを直しに私の肩や手に触れるということはあった。これは全くセクシュアルなことはなく、体育の先生がするようなことだ。けど、母親はそうは思っていなかったようだ。
そうこうするうちに段々長女が私に対してよそよそしくなった。最初は機嫌が悪いだけだろうとか思っていたが、いくら鈍感な私とはいえ様子がおかしかった。そのうち、学校でも何人かの生徒が私を見ると小声で何かを喋ったりすることがあった。家でも、母親の態度が急にトゲトゲしくなった。当番でないはずなのに皿を洗えとか言われるのはザラで、あの癇癪でいきなり部屋に入ってきて、
「ちょっとお皿を誰も洗っていないじゃない!」
とドアを開けるなり言ってきたり、これはたまたま家にいた長男が忘れていただけなので彼がでてきて「ママ、僕が忘れてた。ごめん」と言ったりしたのだが。長男の態度は特に何も変わらず普通だった。
私は何か母親に対してしただろうか?私が学校から昼休み抜け出していることで連絡がいったとか?でもそんなバカなことでこんなに態度が悪くなることはないだろう。しかもコミュニケーションが大事、あなたとは気が合うと言っていたのに。。
そこである日学校である生徒から話を聞いた。「変な噂が流れている」と。私が自分の家のホストファザーと仲が良すぎるという。
仲が良すぎるとはだいぶオブラートに包んだ言い方だが、はっきり言うと父親に私がフラートしているということだ。それを聞いた時は本当に耳を疑った。母親がそれを娘に言って、娘はそれを仲のいい友達に言って学校に広まっていたのだ。しかも当時私は16かそこらで父親は45くらい。普通に考えてありえない話。もちろんその噂について教えてくれた子には「そんなことはあり得ない」と言ったけれど。。
また後でわかったことだけど、彼女は専業主婦だと言ったと思うが、彼女は前の仕事場を同僚が自分の財布を盗んだとか疑いをかけてクビになっていたのだった。つまり職場で自分の妄想癖で問題を起こすので働けないのだ。
つまり私が自分の旦那を誘惑しているという妄想を年頃の娘に言うということも信じられない。信じる娘もちょっと。。と思うのだけどそれは私側の意見なのだろうか。まあなんでかよくわからないけど娘も前々から私のことをあまり良く思っていなくて、それに追い打ちをかけるように母親からそんなことを聞いたのかもしれない。ちなみに私の前に日本人の女の子をホストしており、その子が家を離れた後でも電話をするくらいのとても良い関係で問題を起こすような家族ではなかったらしい。(後日談)
けど、私が今でも良くわからないのは母親でも娘でもなく、父親。
彼はこの事件(あえて事件にしてしまう)の最中ずっと黙秘をきめた。文字通り何も言わないのである。
次第にことが大きくなっていって私はこの家族とは暮らせない、と判断して学校のカウンセラーにすぐ連絡した。彼女は正直私が言うことを聞いてかなり驚いていた。正直最初は私のことを疑っているような気もした。けど、かなり異常なことだし、母親の精神が不安定である(精神安定剤を服用していることも話した)ことはホスタファミリー受け入れのガイドラインに違反しているからすぐこの家族を離れるのは妥当だということになった。そしてカウンセラーが連絡を母親と取って、私と一緒に家に来たのだ。
出て行く日、母親も父親も一緒にソファに座っていた。カウンセラーはあの問題については触れず、母親の状態からして今ホストファミリーとして生徒(私)を受け入れることは良くないという判断を下したと説明。母親は精神安定剤はたまに飲んでいること、不安症があるためだからという説明。彼女は時おり私の方を見ながらポツポツと話した。そして最後に私の方を見てこう言った。「何か言いたいことはないのか」と。私は正直これが謝ってくれと言う意味でしか聞こえなかった。私ははっきりと「何も言うことはない」と言って荷物をまとめてカウンセラーと2人で家を出た。その間も父親は何一つとして言わなかった。
この家を出た瞬間、私は16歳でカナダでホームレスとなった。
カウンセラーは私に少し同情しているみたいだった。別にカウンセラーの彼女の責任ではないけど、まあ少しは責任あるかな。車の中であの家族で問題が起きたことはない、と何度も繰り返していた。私に会社側に連絡されるのが怖いんだろうけど。帰る家がなくなった私はとりあえず学校に戻ってくるしかなかった。カウンセラーは道中で次のホストファミリーを探すため電話をかけまくっていた。けど、いきなり今日から、しかも短期ではなくて長期の留学生を受け入られる家っていうのはそうそうない。私は段々自分の置かれている状況を理解し始めた。学校に住むことになるのか。でもそうしたら24時間も学校にいなくてはならなくなるのでそれは嫌かなとか。でもとりあえずあの家から出られたので学校に住むことそんなに悪い話ではない気もしていた。(笑)
午後15時くらいに学校に戻ってきた。私はとりあえずカウンセラーの車のトランクに大きい荷物を入れたまま、職員室に自分のカバンだけ持ってきた。カウンセラーは今日中にホストが見つかることは多分ないだろうから、見つかるまで自分の家に来て、といった。彼女は自分がホストすることも考えたそうだが、寝たきりの80歳近い母親看護しているらしく、私はそれを知っていたのでそれは多分難しいだろうなと思った。私はホームレスになったけど、自由になれたことが不思議と嬉しくて気軽な気持ちで職員室の椅子に座っていた。職員室にも私の話は伝わっていた。カウンセラーが連絡をしている間に私は宿題をしながら自分の今日の寝床がどこになるのか決定されるのを待った。そしてオフィスが閉まる時間になって、カウンセラーが戻ってきた。私は彼女と一緒に駐車場に行こうと立ち上がると、見た事のある顔の女性が私たちに近ずいてきた。彼女は自分の旦那に了解がとれた、今日からうちに住まないか?と聞いてきた。
彼女はどこかで見た事あるなと思ったが、先生ではなく学校の事務をしている人だった。私が今日帰る家がないと聞いて、かわいそうだと思ったのか仕事中の旦那に電話をして私を受け入れてもいいか聞いてその返事を待っていたらしかった。旦那はOKの返事をテキストでしてきたと言った。子供が4人もいるらしく、3人はこの学校の小学校に当たるところに通っているとのことだった。と言うわけで、家を失った日にラッキーなことに学校の職員の家に引き取られる(笑)ことになったのだ。ちなみに来月から中国人留学生も受け入れる予定があるとのことで、部屋も2つくらい空いているので問題はないらしい。
ということでホームレス生活は数時間で終了した。この時ほど自分がマイナー(未成年)であり、何も一人でする許可がなく、早く18歳になりたいと思いったことはなかった。
この職員家族がいなかったら、カウンセラーの家に次のホストが見つかるまでいたのだろうか。家に子供が4人いてしかも10歳、8歳、5歳、3歳というまさにうるさい年齢でもそんなことはどうでもよかった。前の家よりも確実にうるさいけど安心できたから。その日は特別によく眠れた。
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