表現者とカタルシス
偽物の、熱いようにふるまっている人や
偽物の、人に寄り添ってるように見せかけている人、
偽物の、やさしさ
偽物の、正直者
偽物の、人畜無害
偽物の、思いやり
偽物の、敬虔
偽物の、エモーショナル
日常生活に戻りつつありますが、私は忘れることはまだできませんね。
元の生活には、未だ戻れそうにないです。
死んだ心にもう一度、愛と信用を注がないと。
自身で注ぐか、注がれるのを待つか。
ああ、ひどい目にあった、と、遠くを見つめる。
溜息はつかない。
うんざり、という単語も言いすぎて嫌いになったわ。
これは、つらいときに眺めていた
世にも美しいマリウス葉くんのお言葉です。
ココシャネルとかオードリーヘップバーンの名言みたいに本になりませんかね。
私は本当に傷つく覚悟があって、
エモーショナルで、
喧嘩をしても仲良くしてても、
言葉や行動ひとつにカタルシスを感じて
何をしていても、感動して涙が出るような人間と一緒におりたいです。
それは、いつもいつもそう思っています。
傷付いたり、薄汚れる覚悟もない人間と話すことなんて何もない。
それでも何か話さないといけませんか。
カッコばっかりつけてるやつと喧嘩なんてしたくない。
なんてみっともない人間が多いんだろう。
私は、なんてみっともない人間に、真剣に気持ちを注いできたんだろう。
愛を表現することや、エモーショナルになることをせず
他人から愛されたり、素晴らしい表現が、できるでしょうか。
恋人ひとり、幸せにできない人が、人に求められますか。
または命をかけるほど、誰かを愛したことのない人が。
孤独になることすら知らない人間が、他人の痛みを理解し、
自分に向き合えますか?
どうして人を大切にしないのに、他人を巻き込むのだろう。
人を大切にしないから、他人を巻き込むのでしょうか。
搾取された私の想いは、いつも表現者に癒される。
本当に熱いものや、優しいもの、正直さ、敬虔さに。
必死に手を伸ばし、彼らの生み出した傷だらけの孤独に触れるのだ。
表現者。
音楽やアートだけではない。
会話で愛を紡ぎ、言葉でエモーショナルを与え、
命を慈しみ、丁寧に寄り添い人の心を大きく育てる。
大喧嘩したって、愛し合ったって、
ただ、静かに向き合い、お茶を飲み、会話をするだけで、
カタルシスが残る人のこと。
表現者はいつも正直だ。
作品は孤独から産まれる。
彼らの繊細な部分は、柔く、いつも剥き出しになっている。
だから、守ろうという念が湧き起こる。
愛する人に裸を見せることと同じで、
柔いところを見せて心を開いてくれているのだ。
だから強い人しか表現はできない。
だいたいの人間は、人より強くあろうと見せるし、
他人より、高価なものを纏って、自分を守るのだ。
近頃知ったことだけど、愛する人間にマウントを取る
世にもいけてない人間もいるようだ。
愛する人を脅威させてどうする!?頭が痛くなる。
この話は、ちょっとある種の感動すら覚えたので、また次回詳しく書きます。
一人ぼっちじゃあ生きてなんていけないけど、
本当の表現者は、いつも傷だらけで、孤独でとてもやさしい。
私の大好きな人は、いつも優しく、何があっても強く、何も変わらないし。
どんなことが起きても、私がどんな姿になっても。
いつも、近くに尊敬できる人がいることに感謝します。
彼らは人を救い、幸せにできるね、すごいよ。