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私、どん底につき。

昨日の続き。


なあ…おまえにも心があってんな…


どん底になったときに気づくこと。


どん底になったら、自分に余裕なくなって、
自分のことしか考えられへんくなって
周りが全く見えなくなって、人の話も全く聞かれへん、
自分のことで手一杯、
普通の状態の他人はもちろん、
傷だらけの状態の仲間を慮ることもできない、
どうしようもないクズに成り下がる。
なったことのない自分になる。

ちなみに、この状態になると、余裕で友達全員失います。

↑の8行書くだけでも辛いもんがあるのに、実生活でこれやからな〜当然っちゃ当然。


中には常にそういう状態の人もいてて、常に周りを意識して自分守ってしんどそう。
しかし、今回は私の話、私はその類の人間ではないので、触れずに割愛。



誰もこんな人間と関わりたくないよな。

それでもずっと一緒にいてくれる人は、きっとどん底に落ちたことがある人。

そして、私自身も、身近な人のどん底を見放しません。

果てしなく、底の底のそこに落ちた時。

「こいつに人の心はないのか…」いわゆる苦手だった人の、不器用さや、やさしさに気づく。

己に余裕のあるとき、心がないって思ってた人に、心があったと気づいたときの衝撃たるや。

自分がどん底に落ちてなかったら、きっと一生気づいてなかった。
気づいてへんくってごめんなと思うし、
気づいてなかった自分の調子のよさは、たくさんの人を傷つけていたのかなって思います。

自分とは正反対だと、決めつけてた人。
彼らからも小さなサインがでていて、気遣ったり、傷ついたり。
心は確実に存在していたのだと気づきます。

でも、そんなの当たり前なのにね。
心がない人間なんて、所謂選ばれし歴史に名を残すサイコパスとか。
そんな人、なかなかいないと思う。
余裕は常に欲しいけど、余裕がある人間はなかなかの傲慢。

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自分と同じく、どん底まで落ちて、余裕を失くしてる人。

誰だって、余裕なくして周り見えなくなる人間になることなんて望んでないから。
そういう時、自分にもあったから、どこまでも理解する。
むしろ、その傷すら愛おしくて抱きしめたくなります。

その傷は私が負ったことのある傷やから。


この、愛おしさたるや。
どん底を経験したのちの甘美でしかなく、愛の成長過程。
辛い経験を味わった者にしか、わかるまい。
偉そうに言ってる私も、ここ3日間で気づいたこと。

そしたら、私の尊敬するアーティストや、人の心を救う能がある人たちの言葉や
作品が、もっともっと理解できるようになりました。
誰かを、絶望から救い、どん底に寄り添える人は、極限を見てきた人たちなのだと。


元気になるまで、ひたすら待ちますし、相手は私としゃべりたくなくても
私は相手としゃべりたいから、ずっと待ってます。

私は、ずっとずっと、待ってます。
たとえ、私自身が相手を傷つける原因だったとしても。
私は話したい。ずっと待ってます。

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特定の人への、お手紙みたいになっちゃった。


でもこれって真実。
また会えるときは、愛の話がしたい。

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