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チリのエリートが消したい人々 - マプチェについて(後編)

束の間の進歩と軍事政権下での抑圧

19世紀後半のアラウカニアの平定によりマプチェから収奪された土地は、その後欧州系の移民や大地主に分配されますが、極めつけとして1962年に制定された法律により、1946年以前に獲得されたマプチェの土地はすべて公共用地であると定められます。このような軍事的・政策的侵略により故郷を失い生活に困窮したマプチェの人々の多くは、祖先の土地に根差した伝統的な生活を捨ててサンチャゴを含む市街地近辺に移り住み、差別に遭いながらも貧困層として生計を立てていきます。差別を避けるために欧風の名字に改名する人も少なくなく、社会に馴染もうとする動きに伴い多くの家族でマプチェの文化が失われていきます。

このような逆風が続く中、1972年にアジェンデ社会主義政権下で制定された “La Ley Indigena”(先住民法)はマプチェにとって確実な進歩を表す出来事でした。先住民との新しい関係を築く必要性を認識したアジェンデが、マプチェ指導部の提案を踏まえ土地の返却及び権利保護を目的として制定した法律であり、特に「マプチェの土地は不可侵である」という条項を含む点において、先住民族に関する最も先進的な法律の一つと見なされました。そしてアジェンデ以前から開始されていた農地改革の恩恵もあり、合計15万ヘクタール以上の土地がマプチェに返却される形となりました。

アジェンデとマプチェの人々

しかしこの束の間の進歩は、1973年のクーデターで政権を掌握したピノチェトによって完全に覆されます。軍事独裁政権下では、米国からの政治的圧力と資金的援助もあり、アジェンデによってマプチェに返却された土地のほとんどが林業を中心とする企業に再分配されます。そして先住民を実質的に抹消する方針の下、マプチェをはじめとするチリ国内の先住民族の存在は認められず、チリ国籍のみが正当なアイデンティティとみなされました。その結果、ピノチェト政権の遺産でもある現在のチリの憲法は、ラテンアメリカで唯一先住民族の権利を認めていません。

ピノチェト(中央)

今でも続く衝突と対立

このような複雑な歴史を振り返ると、未だに続くチリ国家とマプチェ間の緊張関係と、それが時に暴力的な衝突に発展し得る様子は容易に想像できます。実際、南部地域ではマプチェの急進派グループによる林業の重機の襲撃・放火が連日行われており、その損害は数億ドルにのぼっています。被害は民間企業にとどまらず、2013年には近隣のマプチェ住民と衝突していたチリ人の老夫婦が放火殺人事件により命を落としたことが大きく報じられました。

マプチェの急進派グループの放火により燃える重機

その一方で、警察による権利の乱用や証拠の捏造、非武装のマプチェに対する暴行や殺害等も問題となっています。そして民主化を達成した今皮肉ともいえるのが、元々ピノチェト政権下で反政府勢力を取り締まるために制定された法律である"La Ley Antiterrorista" (テロ防止法)が、今度はマプチェの抵抗運動に対する刑事罰の根拠として適用されていることです。国連及びアムネスティインターナショナルをはじめとする人権保護団体は、この法律の恣意的な適用を批判していますが、国外の意見と国内の(少なくともエリート層の)コンセンサスを比べると認識は大きく異なる印象です。

この問題に解決の糸口はあるのでしょうか。完璧な解決策ではないとはいえ、北米に習い一部自治領を設けることも考えられそうですが、チリ大学の講師によればそう簡単ではないそうです。カナダや米国のような連邦国家とは対照的に、チリは非常に中央集権的な体制である点から構造的な難しさがあるのに加え、国家・国民としてのアイデンティティや政治的安定が脅かされてしまうという恐れがあるようです。

南部地域の開発に反対するマプチェのデモ

そして政治制度やアイデンティティの問題以上に、国の収入の大半が土地で賄われている点が大きなハードルとなっています。チリの主な輸出項目のセクターは上から順に銅等の鉱業、農業、そして林業ですが、全て元を辿れば先住民の土地ともいえる場所で行われています。このように領土そのものの開発による収入源に大きく依存する現状が続く限り、国家が先住民の土地に配慮するインセンティブは働かないのでしょう。主に政治的イシューとして取り上げられるこの問題には、より直接的な要因として経済的利権が絡んでおり、チリの産業構造の高度化が進まない限り、完全には解消されないのかもしれません。

現実の直視と、今後に向けて

土地の返却や自治の承認は難しいのだとしても、先住民の権利向上に向けてまだまだ改善の余地があります。チリでは2019年の社会暴動を機に憲法改正への機運が高まりましたが、その際に組成された憲法会議では、マプチェ出身でありサンティアゴ大学の教授であるElisa Loncon(エリサ・ロンコン)氏が議長に選ばれました。そして彼女の影響もあり、憲法改正案では先住民の権利に関する条項が追加されました。しかし「先住民の権利は国家のアイデンティティと統一を脅かす」というプロパガンダや、「マプチェ=テロリスト」という言説の影響もあり、その後の国民投票で否決されています。

マプチェの旗(左)
2019年の社会暴動では労働者階級の闘争の象徴として掲げられた(右)

プロパガンダの影響力に加え、チリ社会における先住民差別の根強さが露になった出来事でもありました。ロンコン氏に対する人種差別的な発言、そして彼女の学者としての実績とクレディビリティを疑問視するような言動がメディアやSNSで多く見られました。つい先日も、サンティアゴ大学が彼女にサバティカルを与えた事実を踏まえ、右派・保守派の新聞であるEl Mercurio(エル・メルクリオ)の記者が「学者として過去5年間に展開した学術活動について、学部または大学院の履修の有無、時間数、大学または教育・研究活動の枠組みで発表された論文や研究の発表の詳細」の開示を要請しました。その内容の正当性はさておき、一人の学者に対して、サバティカルに値するかどうかを証明することをメディアが求めること自体が奇妙であり、その裏にある人種差別的思想を批判するコメントも見受けられます。

エリサ・ロンコン氏。ハーバード大学のメディアにも寄稿している

チリのみならずラテンアメリカの多くの国で、"Indigena" (先住民)という言葉が「頭が悪い」「へたれ」という侮辱的な形容詞として使われることがあるそうです。先祖を辿れば大多数が先住民の血を引くともいえるような地で、このような偏見が未だに根強いのは、植民地時代の恥ずべき遺産ともいえるでしょう。先住民の権利向上のためには、歴史的経緯により正常化されてしまったそのような思想・言動に対するアカウンタビリティの追求、そして平和的共存のための対等なダイアログを国と先住民族の両側で形成し継続することが必要です。

2017年のチリの国勢調査では、人口の12%以上が先住民の血筋であると回答しています。その一つ前の国勢調査対比では増加しているものの、差別の影響もあり、実際にはもっと高い比率であると考えられています。今年新たに行われた国勢調査においてこの数値がどう変化するかが、先住民に対する現時点での社会的受容性を示唆するとも言えそうです。

解決に向けて様々なハードルが立ち塞がる複雑な問題ですが、チリの国自体が、先住民を含む自身の歴史と国民としてのアイデンティティの多様性を受け入れ、平等な社会に向けて新たな一歩を踏み出せることを祈ります。


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