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Stand with Ukraine in Tbilisi
2022年2月24日 ロシアがウクライナに侵攻した。
私はちょうどその日の夜のエミレーツ航空便で日本を出国するところだった。
旅の準備もそっちのけでSNSで状況をひたすら追いかけた。
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翌日ジョージアの首都トビリシに到着し、市内中心部のホテルで情勢を追いかけていると、窓の下で行進している人々を見かけた。
反ロシア感情の強いこの国では侵攻の翌日から国会議事堂前でウクライナ侵攻に対する抗議デモが結成されていたのである。
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その日は長時間フライトの疲れもあり、そのまま上から眺めるだけで参加はしなかった。
翌日、市内を観光していると、ウクライナへの連帯や反ロシアを訴える落書きを複数見かけた。侵攻から3日目にしてこれほど反ロ感情が表出しているのを見ると、市民の間でのこのような感情は相当に強いのであろう。(2008年の事態を思い起こせば当然ではあるが)
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市内観光を終え国会議事堂近くのホテルに戻る途中、この日も続々と人々が集まっているのが見えたので、荷物を置いて私もその集団に合流する。
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ざっと数百人くらいが集まっている。
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前方にはひな壇が立てられ、交代で演説がなされている。
合間にウクライナとジョージアの国歌が交互に流され、デモ隊のボルテージは上がる一方である。
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私は渡された旗を振ったりしながら30分ほどデモに参加した後、その場をあとにした。しかしデモの演説や音楽などは夜10時過ぎまでかすかに聞こえていた。
一日も早くウクライナに平和が戻ることを願う。
— plo@C99新刊 委託中 (@_the_plough_) April 19, 2022
ここからは私が2020年初頭にウクライナを訪問した時の写真を紹介する。
できるだけ早くここで挙げた写真のような平和なウクライナが訪れ、旅人が自由に訪問できると気が来ることを願って。
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ウクライナへはルーマニアから徒歩で国境を超えた。
Sighetu Marmației - Солотвино国境という非常にマイナーな国境である。
この国境ではウクライナから避難してきた子供たちのためにぬいぐるみが並べられたとニュースになっていた場所だ。
風格ある木製の橋が両国の間を隔てるティサ川にかかっている。
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この時期は新型コロナウイルスの感染が広がり始めていた頃で、日本ではダイヤモンド・プリンセス号が、韓国では新興宗教での集団感染がニュースを賑わせていたころであったため、アジア人が国境を越えようとすると渋い顔をされたのを思い出す。
またウクライナ側の検問の手前で道路の反対側にいた兵士に大声でウクライナ語?で呼び止められ、キターニャという語だけ何とか聞き取れたので、ニェット、ヤポーニャと言い返したら途端に表情が優しく変わって通されて微妙な感情になったりもした。
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この街から夜行列車でリビウの街を目指した。
付近のATMがことごとく私のクレジットカードを拒否したため、ウクライナに入ってから飲まず食わずで翌朝まで過ごさなければならなくなってしまった。こういう空腹など体の欲求と直結した感覚は記憶に残るものである。(なおこの日は日曜日でありルーマニア側のスーパーもすべて閉まっていた…)
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ウクライナ西部の中心都市リビウは非常に居心地のよい街であった。あの街まで戦火が及ばないことを切に願う。
そしてここで撮った写真に写る人々がその無事であること祈る。
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リビウからさらに夜行列車に乗ってキエフに向かった。
キエフではとにかく天気が悪かったことが記憶に残っている。
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このトラムが結ぶ郊外の住宅地のあたりまでロシア軍が侵攻したと聞く。
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キエフ中心部の教会からドニエプロ川を見下ろす。
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キエフの中心、独立広場
ここは2004年のオレンジ革命・2014年のユーロマイダンの舞台でもあり、まさにウクライナ民主主義の象徴とも言える。
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以上で本記事を締めたいと思う。
また以前のように平和なウクライナが戻って来て、自由に旅することができるようになることを願う。