ライフオブパイ(西洋の神)の話
野生の残酷さ
ライフオブパイ ヤンマーテル著
物語はパイと言う中年男の回想シーンから始まる。
パイは少年の頃 インドの動物園を経営する家族と一緒に暮らしていたが、ある日ベンガルトラの檻に近づきトラと友達になろうとする。 父親がその子供の行動を見て放っておくと危険だと思い、ヤギを使ってトラがどのように行動するかを少年に見せる。ヤギは当然のようにトラに食われることになり、野生の残酷さを少年の心に刻み付ける
しばらくして、一家の経営する動物園は経済的にうまく行かなくなり、故郷を離れることになる。動物園と家は売ることになるが、何匹かの動物を檻に入れ船で運ぶことになった。
しかし、その船は嵐の為に沈没してしまう。少年は一人、救命ボートに乗り、脱出をするが家族は船とともに嵐の海に沈んでゆく。少年が乗った救命ボートにはシマウマ ハイエナ オラウータン そしてあのベンガルトラが乗っていた。狭い救命ボートの上で動物達と、パイの死闘が繰り広げられる事になるが、パイはまともに戦うのを辞め、海に飛び込み、がれきを集め、避難用のいかだを造り救命ボートとロープでつなぐ。
救命ボートの中では、動物たちの死闘が始まる。ハイエナはシマウマを襲い、オラウータンはハイエナを襲う。しかしハイエナの逆襲にあい、オラウータンは殺される。最終的にはハイエナもトラに食われてしまう。動物たちが死んでいく順番は大して物語には関係ない様に思えるが、実は後ほど重大な物語のコアとなっていく。
少年と虎との死闘
パイは虎の目を盗み、救命ボートを探索する。そこに積まれていた非常用のサバイバル食料を発見し、足らない分は雨水や魚を捕り227日間もトラとともに太平洋を漂流する。途中でトラが腹を空かし魚を捕ろうとし、海に飛び込んでしまうシーンが有るがトラはボートに再び戻ることが出来なかった。そのまま放っておけば、パイを食おうとしているトラは死ぬはずだったが、結局パイはトラを助けることにする。少年はトラをリチャードパーカーと名付け、トラを手なずける事を目標にして、餌と水でトラ調教の挑戦をくりかえす。そのうちにトラはパイの言う事を聞き分けるようになり、パイはトラと心を通じ合えたと感じる しかし、食料はつき、少年は飢えで死にかけたトラを抱きよせて泣く。
後半、漂流した末、死にかけているトラと少年はメキシコの砂浜に打ち上げられる。トラはメキシコのジャングルに向かい、少年の呼びかけにも答えず、後も振り返らずに姿を消す。少年は生死をかけた死闘と、サバイバルの中でトラとの目に見えない友情のような絆を感じていたが、トラはパイの方に振り返ることもせず、自然に帰って行った。
信仰を持たない日本人の登場
この話は映画にもなっている。映画では美しい信じられない様な映像で 物語が飾れている。 映画の方では、その後少年はメキシコ政府に保護され、病院で船の保険会社の人間と会う。その保険会社の人間は日本人であった 保険会社に日本人を起用しているのは、日本人が神への信仰を持たない民族であるとして起用されていると思われる。『日本人は神への信仰を持っていない』というのが外国の印象なのであろうか?これには僕なりの反論が有るのだがまた別の機会に書きたい。
ともかく、保険の対象にする為に何があったのか全て話して下さい と少年は日本の保険調査員達に言われ、トラと漂流していた227日の経験、動物達との死闘、無人島のこと。クジラの事、全ての事を話す。 しかし、日本の調査員達はそんな話は信じることが出来ないから報告書に書けない 『保険が下りるような現実的なことを言いなさい』
と言うのである。仕方なく、パイは別の話を語りだす。シマウマは船員 ハイエナはコック オラウータンは母親
トラはパイ自身にすり替えた話である。 コックは船員と争い、制止しようとしたパイの母親を殺してしまう。そして、死んでしまった船員と自らの母親を餌として、魚を捕る。コックとパイは生き伸び、最後はパイとコックの死闘になり、コックを殺してしまったと言う残酷で、絶望的な話をする。すると日本人はこの事実を悼みながらも納得して帰って行く。
ライフオブパイの神への信仰
ここで映画は中年になったパイの回想シーンに戻り、今まであった全ての話をこの物語を書くことになる小説家に話している。
そしてパイは小説家に言う。貴方はトラがいた話と、いなかった話、どちらの話を信じますか?と。
小説家は息をのみ。『トラがいた方の話だ』と言う。人間はどうしようも無い絶望を抱えては生きて行けない。
トラがいた方の神が作ったような奇跡の体験話にはまだ救いがある。
だから、真実はトラがいた方だと、小説家はこの話を小説にすると言い、物語は終わる。
そして僕は思うのだけど この作品はトラがいたかどうか 神がいるかどうかそれは問題としていない。
神がいようがいまいが、どっちみち人間は神を信じなければ残るのは絶望のみである。という事を言いたかった映画ではないかと思うのである。
そう。正にキルケゴールの神的なことを言いたい映画なんである。本当にトラがいたかどうかということはこの映画のラストシーンでもとうとう分からない。
僕はここに全く西洋的な神のあり方を見る。
作品と実話の謎
余談だが、パイがベンガルトラに名付けたリチャードパーカーという名前は、エドガーアランポーのフィイクション小説に登場する人物の名で、エドガーの小説でも船でリチャードパーカーが漂流すると言うお話だが、このエドガーの小説が書かれて40年以上もたった後になんと、実際にノンフィクションで偶然的にリチャードパーカという実在の人物が船で遭難している。
この事実の方のリチャードパーカ話はライフオブパイの『トラがいなかった話の方』と同じ絶望的な人間同士が船の上で殺し合いそしてそれを喰らうというものだった。それをこの小説ではトラの名前にしているのは、偶然ではないだろうと思う。
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