僕の好きなクリエーター056-田中一光
グラフィックデザイナー
僕は昔田中一光さんと親しくしている人から 一光さんの仕事だと言って依頼を受けたことがある。 直接仕事を受けたわけでは無いのに自慢してるのかって言われそうなので弁解しておくけど、いやいやむしろその逆です。 かなりお叱りを受けた。相手にしてもらっているのではなく、直接的ではなく間接的に受けた。
どうお叱りを受けたかというと 当時僕はアップルコンピューターに夢中だった。で、田中さんの仕事もそれでやっちゃったのである。
僕は彼がどういう類いのデザイナーか全然研究不足だったし、そのデザインの意図もさっぱりわからなかったので、アップルコンピュータでデジタル処理してしまったのである。
では何がいけなかったのかというと、依頼されたグラフィックは、日本語書体のデザインだったのだ。つまり筆、で創作的にその書体をデザインしていかなければならなかった。
それを僕は筆でデザインする前に、デジタルで描いちゃった。筆とデジタルはどう違うかというと、偶然性の欠落である。
筆による偶然の計算できないアナログの表現。が感覚的に必要なデザインだったのだ。それが分かったのは、お叱りを受けたから気がついたわけなんである。
そもそも、工業デザイナーである僕のところに グラフィックの仕事が舞い込んできたのは仲介に入っていた人が圧倒的に情報不足だったと言う気もするが、基本的にはジャンルを超えてなんでもできなければ才能は育たないと思っている僕にとっては、耳の痛いことだった。
彼がなぜそうまでして僕のデザインを批判したかは今考えるとわかるような気がする。
エピソード1 誰も知らない田中さんの話
僕が若い頃に聞いた話がある。田中一光さんのエピソードと記憶している。
この話は一般に公にされていない。どこを調べても出てこない。僕の若い頃の話なのでもう時効だと思うのでここで語ってみたい。
僕は昔勤めていたデザイン事務所の社長からこのエピソードを聞いた。それによると、某、海苔の会社が、自社の海苔の缶をデザインして欲しいと田中さんにデザイン依頼したらしい。今でこそ海苔はプラスティックのビニール袋に入っているものだが、昔は茶筒みたいな缶に入っていたのだ。
海苔はそれほど高級品だったのだ。昔の海苔の缶って言ったら結構派手なグラフィックが描かれていて、海藻の絵が描かれていたりしていたのが主流。
それを田中さんが引き受けたときに、どんなデザインにしたかと言うと、まず海苔の缶にザラザラとしたテクスチャーを着け、手触りを表現した。
その上で、真っ黒の色をつけてしまった。そして 筆の書体で小さく 某、海苔と毛筆風に描いたデザインだった。
僕はこの話を聞いたときに、まるで、千利休みたいだなと思ったわけである。というのも千利休も色々な茶碗のデザインがあるけど シンプルで黒い茶碗を創作して、これが一番美しいのだと言った。そして、ものすごい高い値段をつけたと言うエピソードがあるからである。
田中一光さんが千利休の影響を受けたかどうかは僕はわからないが、田中さんはおそらく日本の心を表現したかったのでは無いかと今ではそう思える。
ところがである、話はここからで、某、会社の担当、社長は、そのデザインを見てびっくりしてしまったわけである。と言うよりも、こんな黒に塗った海苔の缶はみたことも聞いたこともない。
『これでいいのか?』会議が始まり、田中一光さんも呼び出されて論議が始まったらしい。
で、ああでも無いこうでも無い。散々な意見が出された。それを1時間も聞いていた田中さん 突然怒り出した。
『私はこんなところでこんなことをやっているほど、暇じゃないんだ。 採用するのかしないのか早く決めてくれ』って。
そのエピソードを聞いた我がデザイン事務所の社長は、感心した そこまでは僕たちはクライアントに言えない。デザインを通すのにはやっぱり実績と権威が必要だと。
僕もそう思うが、何よりもこの問題は、田中一光さんがどういうデザイナーであって、何を提案したかったのかって事を、受け手が全く分かってなかったのではないかと思うのです。
エピソード2無印良品
もう一つエピソードがある。田中さんが無印良品のトータルデザイナーだった時のこと。 仕事を引き受けるにあったって田中さんはこれいいでしょう?ってポケットから干し椎茸を出してきた。
この椎茸、どこで作られているのかは知らないけど、この、素の感じ、この無添加な感じ。なにもあたえず、何も飾らず、デザインせず、これをそのまんま商品にできないだろうか?って言ったんだとか。それがあの無印良品のコンセプトになって、ネーミングもそうなった。デザインしないデザイン。と言うわけだ。この話は結構有名で、ググれば出てくるが、この話を聞いた受け手の才能も大したものだと僕は思う。 わからんでしょ普通?
僕の思うこと
他のグラフィック作品を見ても田中一光さんの作品にはいつも日本がある 日本の感性が生きている グラフィックポスターなどをみても、まるで現代琳派みたいなデザインを表現していたりする。それを知らなかった僕も、某海苔の会社も、やっぱり無感性人間だったって事。