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僕の好きなクリエーター035 ウォーホル

アンディ・ウォーホル

アンディ・ウォーホルについては色々と言いたいことがある。
僕はデザインと芸術の違いはざっくりと分類すると、商売か商売でないかって思っていたわけだ。
今でも、一応そういうことにしておかないと、なかなか頭の中が整理がつかない。 
ところがデュシャン以降、芸術の概念に揺さぶりがかけられている。

デュシャン以前の芸術って1点もののオーダーメイドだったが、デュシャンはレディメイドで、あつらえ品でも芸術でいいじゃないか?という皮肉を込めて作品を作った。

そもそもジュシャンの芸術が芸術と呼べるのか?っていう論議はさておき、その概念を発展させていくと、

今日的に僕たちが使っている商業製品はどうなの?という疑問が浮かんでくる。たとえば、僕らが使っているホチキスだとか、これだって芸術じゃないのか?って考えが浮かんでくるわけだ。

キャンベルスープ缶

例えばキャンベルスープ缶だが、スープの味によって トマト味だとか アスパラ味だとかの味が表記されているだけで 缶のデザイン自体は何も変わらないシンプルなもの。
アンディ・ウォーホルはシルクスクリーンで缶の味だけの部分を残して大量に版画を作り、味の部分の表記の版だけを後でプリントを追加して次々と発表した。
それをアンディ・ウォーホルが並べ立てて芸術にしてしまったわけで、これはつまりデュシャンの影響のレディメイドなのだ。と僕は理解している

アンディウオーフォールにが日本に来て日本のコマーシャルに登場したことがある。
あか、あお、みどり、きれい ってうつろに日本語で言ってた。


こんな感じでアンディ・ウォーホルはデザインだって芸術だよ。ほらね。シルクスクリーンで大量生産できる。ほら、こうやってたくさん作ったらたくさん売れる。って商売にしちゃった。
その商売自体が芸術活動であり、アメリカの消費社会を皮肉っている。
それがポップアートと呼ばれる様になったんだ。

消費社会と自分を皮肉る

さらにアンディ・ウォーホルはアメリカの消費社会を皮肉った。 そして自分をも皮肉っている。
白いウイッグをかぶり、自分自身もを商品にしていった。
人間も消費される そして死んでいく だからマリリンモンロー イリギスの女王、自分をもシルクスクリーンにした。ミッキーマウスもね。

MoMAのやったこと

最近では任天堂が発売していたテレビゲームパックマンを芸術として2013年にニューヨーク近代美術館MoMAに収蔵されている これもポップアートの影響で、商業自体が芸術と認められつつあると言える。

一応 MoMAのパオラ・アントネッリは「ゲームは芸術ではなく、優れた『インタラクション・デザイン』である。としているけど。アンディ・ウォーホルやデュシャンからすると、デザインだって商業だって芸術じゃないか?って言うんじゃないか?

現代芸術。もう芸術はなんでもありってことになる デュシャンは芸術家の大家が芸術といえばそれで芸術なのか?
って疑問を投げかけたけど。 現代芸術では再び、芸術家の大家が商業だって芸術だといえば、芸術になりつつある。これはデュシャンの言いたかったことへの矛盾じゃないのか?って僕は思うのだった。

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