名前って大事だよなって話

みなさんこんにちは!
「れおっち」です😁

電車に乗っていて、ふと「名前って大事だよね」
って思ったのでそんな話をしてみたいと思います。

嬉しいことに、
僕は周りの人から「れおっち」って呼ばれたり、
実名の「玲央(れお)」って呼ばれることが
多いんですね。

それはきっと、僕自身が相手のことを
名字ではなく、「名前」や「ニックネーム」で
呼ぶからなのかな、と思います。

「名字」には名字のオモシロさがあると思いますが
基本的に僕は人のことを「名前」か、
せめて「ニックネーム」で呼ぶようにしています。

なぜかと言うと、「名字」と比べて
そこには「意味」があると思うからです。
れおっちはその「意味」を大切にしたい
って思うんです。
 
これは僕の勝手な思い込みですが、
人って「名前」に自然と近づいていく生き物
なのかなって思うんですよね。

ちなみに、れおっちの「玲央」という名前の
「意味」を母に聞いたことがあってこんなって
言われました。

「語呂が好きなんだよね」

正直、高校生くらいまではその事に対して
コンプレックスを持ってたんです。

「え、それだけ?」とか
「もっと意味のある名前が良かったな」って。

勝手に「意味がない」と決めつけていたんです。

でも、大学生になって色々新しい世界に
触れていくうちに色んな角度から捉えられるように
なっていった。

「語呂が好き」ということは、
単に「母が好きな名前」という意味がある
ということじゃないか。それはそれでいい。

他には、それでも「意味がない」と感じるのなら 
自分で「意味付け」をしくのはどうだろうか??

そう思って、そもそもの漢字の意味を調べてみると

玲→透き通った様子
央→真ん中 

こんな意味があった。
オモシロイことに、自分の中で
自分は特別人と比べて何か突出してできたり
するわけじゃないし、容量も悪いけれど
「真っ直ぐな」在り方だけはしてるって
思ってたんです。

この感じの意味を知ったときに、
なんだかしっくりきたんです。

「あ、自分の事かもしれん」

って。

もしも、れおっちと同じように
親につけてもらった「名前」で何かしら
コンプレックスを持っている人がいるなら
ぜひこんな捉え方をしてみてほしい。

「親は親なりのイミをつけてくれたんだな
それを知った上で、自分がスッキリしないなら
きっと親は自分に『考える余地』を残してくれたんだ。だから、自分でこれから『イミづけ』していけばいい」

こんなって考えてみると、きっと
道が拓けてくるんじゃないかなって思います。

こんな風に「名前」って、単なる「名詞」じゃなくて、その人の「個性」を表したり、
時として「その人自身」を表したりする。

また、れおっちは「ニックネーム」も大切にしてる。

ニックネーム、言い換えるなら「愛称」は
「親しみを込めた名前」だとれおっちは考えて
います。
ちなみに、「れおっち」というニックネームは
僕が小学生の頃に通ってた塾の塾長がつけて
くれたニックネームなんです。
この塾は僕にとっては第二のホームと言うべき場所であり、塾長はまるで、父のような存在だった。
そんな塾長がつけてくれたニックネームは
やはりれおっちにとって、とても大切なイミを
もっている。

でも、時々「名前」や「ニックネーム」で
その人を揶揄おうとしてくる人がいるのも事実。

言われた側はとても傷付くし、それが原因で
自分の大切な「名前」が嫌いになってしまうこと
さえある。

これに関しては、変に反応をするのをやめる
と言うのが、いいのかなって思う。

わざわざ調子を合わせる必要もないし、
逆にその人を恨むためにあなたの大切な時間や
エネルギーを使う必要もない。

そういう人も残念ながらいるよね。

くらいに留めておく。

自分がまず自身の「名前」や「ニックネーム」
を大切にすればいい。

れおっちは、その上で相手の「名前」を
大切にしたいと思ってる。

だから僕は「名前」や「ニックネーム」で呼ぶことにこだわる。

一生付き合っていく「名前」は
やっぱり好きでありたいし、
好きでいてほしいから。

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