「幸せ」って案外身近なとこに転がってるよね。

みなさんこんにちは!
「れおっち」です☺

れおっちは今、8時間のバイト帰りに
駅の近くのファミマの前で屯っています笑

愛しのえりなちゃんが
お寿司食べたい!!って言ってきたので
今から待ち合わせをしてお寿司食べに行こうと
思ってるわけです😁

で、その間に少し時間があるので今こうして
noteを書いているというわけなのですが、
ふと思ったんですよね。

あぁ、「幸せ」だなって。

なんか最近思うんですよね。

あれ、結構「幸せ」ってゴロゴロ日常の中に
転がってない?!と。 

たとえば、

美味しいご飯を食べてる瞬間思うわけです。
あぁ、「幸せ」と。

めちゃめちゃバイトや仕事で疲れた時に
お家に帰ってベットでゴロンと寝る瞬間
あぁ、「幸せ」と。

やばい!!!漏れる、、、、、
トイレで思うわけです。
あぁ、「幸せ」と。笑

そして、思うわけです。
えりなと一緒に過ごすことができて
あぁ「幸せ」!!!!と。

「幸せ」って人によって違うなんて言ったり
するけど、れおっち思うんですよね。

具体的な内容は確かに違うかもしれないけれど、
人の「幸せ」は結局「日常」の中にある
ってことなんじゃないかなぁって。

ただ人によってこの「幸せ」を感じ取るセンサーの
感度が違うんだと思うんです。

たとえば、
お金を稼ぐことに「幸せ」を感じる人もいるかも
しれないけれど、ただ「お金」を稼ぐだけじゃ
「幸せ」を感じない人もいる。

れおっちはこの「感度」って
何を「アタリマエ」と思っているか、
つまり「アタリマエ」のハードルの位置づけ
によって強まったり弱まったりすると思うんです。

食事をとれることがアタリマエと思っていると
食事を取れることに対して「感謝」の気持ちも
生まれないし、幸せだなんて思えない。

逆に言えば、どんなことでもそれが
アタリマエじゃない、と思えた途端に
「感謝」の気持ちが芽生え、
そしてそこには「幸せだ」という状態が
生まれるんじゃないかと思うんです。

アタリマエじゃない、を知るためには
他の価値観とたくさん触れ合うことで
自身の絶対は絶対なんかじゃないんだということに
気づくことが大事。

そんなふうに思ったんです!

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