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そのトレーニングは誰のため?

トレーニングには色々と流派などがあるんですけど…
その流派がなんとなーく宗教ちっくに見えるときがあります。

その行為は誰のための行為なのか改めて考えてほしいです。

ドッグライフコンサルタントの佐藤です。

犬学仲間と学び合う

犬学仲間であるタンタンパパさんのブログなんですけどね…
宗教化するドッグトレーニングってすごいタイトルですけど…皆さんはどう感じますか?

https://ameblo.jp/tintinpapa/entry-12440966453.html

自分が信じるものが正しいものなのか?
人道的なのか?は常に考えないといけないなぁと思ったんです。

どうしても、何かに傾倒すると回りからは宗教っぽく見えてしまいます。
そこは、誰のためのトレーニングなのか?を自分の考えをしっかり持つことが大切だと思います。

そして、その判断を複数の人がジャッジ出来ると良いですよね。
ジャッジといっても批判とか否定ではなく、自分が見落としていたり気がついていないことを気がつかせてくれる人という意味のジャッジです。

なかなか、人から意見されたり人の考えが自分と違うと疎外感を感じたりしがちですけど…
私がそうです。
でも、一緒に学ぶ仲間だったり信頼できて学び合える仲間だからこそたくさんの事を話してたくさんの事を知ることができるんですよね。

みなさんにもそういう、学び合える仲間をつくってほしいなぁと思います。
知識の押し付けあいではなく、自分の意見や考えを言えることが大切です。

それが、判断を他人に委ねないということになると思います。
自分の意見や考えを柔軟に…それでも一本筋が通っているとぶれにくいと思いますよ。
自分の意見をもつことは学ぶことでもありますけど…

私もまだまだ修行中。
生きると言うことは死ぬまで修行中なのかもなぁ~☺️

誰のためのトレーニングかを考える

いろんなトレーニングがありますが、そのトレーニングは誰のためのトレーニングですか?
ワンコのためですか?
それとも、自分のためですか?

ワンコのためと言いつつ自分のためになってませんか?

一般的なしつけトレーニングは、犬のためのトレーニングで、飼い主さんの体裁を取り繕うものではありません。
犬が人間社会で犬らしく暮らす方法を犬に理解してもらうためのトレーニングです。
犬のために行ったしつけトレーニングの結果が飼い主力として現れます。

なので、犬は人間の言うことを聞くべきだというのは間違っていると考えてます。
犬が自らパパやママの言うことなら聞くよという関係になるから言うことを聞いているように見えるんです。
どんな人なら頼まれ事をやろうと思えますか?

お犬様のように扱うとよく言われるんですけど…
そのくらいでちょうどよい気がしますよ。

お犬様であってもダメなものはダメといえる「ばあや」や「じいや」になれると良いですよね。

「ダメなものはダメといえるように」とかくとやっぱりしかる必要があるのねって思われるかもしれませんが、そうではなくて犬が自分で行動を抑制できるように行動を適切に管理しましょうと言うことです。

抑制を教えるのにしかる必要もないし罰も必要はありません。
叱ることや罰は人間にとっては安易ですが、エスカレートしやすいです。

物言わぬ動物だから何してもいいではなく、物言わぬ動物だから優しくわかりやすいように教えてあげましょう。

まぁ、わかりやすくって言うのがとっても難しいのは思いますが…
やってほしいことができないときはわかりにくいのかもしれません。

話があっちこっちいってますけど…
自分の言うことを聞いていればいいんだ!というような飼い主をバカにしているようなトレーナーは飼い主さんに学ばれては困るからそのように言っています。

さて、どんなトレーナーさんが長い目で見たとき犬や飼い主さんに寄り添っているんでしょうね。

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