Learning1.0の意味

Noteのアカウントを今日立ち上げてみた。ここに私の好きな英語や語学系の内容を書いていきたいと思っている。アカウント名はLearning1.0にした。無い頭で色々考えてこの名前にしたんだが、1.0に向けて逆行するのは、懐古主義者で時代錯誤の自分らしいとも思っている。
昨今、政府や経団連が発表しているSociety5.0なる言葉がある。
こんな感じで、これからsociety5.0時代が来るのだそうだ。
Society1.0は狩猟採集
Society2.0は農耕社会
Society3.0は工業社会
Society4.0は情報社会
Society5.0は超スマート社会なんだとか。
何ともワクワクする話じゃないか。新しい社会のあり方が模索されていく。
便利で快適で情報が駆け巡り、技術の発展がそれを後押しする。

では果たして我々は超スマートな社会を生きるほどスマートなのだろうかね。
文明化され、制度や法、システムが社会を形作る時代になって数千年程度。
人類の歴史はもっともっと長い。我々の人としての喜びって、スマホ使って「インスタ映え」とか言って承認求めることなのか。Uber Eatsで色んな出前ができるようになることが喜びなのか。

その程度のことで本当の喜びって見つからない気がする。
ユヴァル・ノア・ハラリの本読んだことある人ならわかると思うけど、通常人間が他人に愛情を含めた喜怒哀楽の感情を共有し連帯できるのは精々、百数十人。他人を労われるのも数万人程度。赤の他人を気遣うことができないなんて、昨今の情勢を見てれば、驚くに値しない。トランプが大統領になり、英国でBrexit(英の欧州連合離脱問題)が発動し、ボリス・ジョンソンが首相になり、フィリピンやハンガリー、ブラジルなどで強権的なお方が指導者的な地位についていて、一定数の人々が支持している。日本も全く他人事ではないし、諸外国と比べ日本は異様なほど無関心な人が多いので、ある意味かなりヤバい部類だと思っている。こういう強権的な指導者の支持層はそれこそ感情むき出しで、「お前らは同じ国民ではない、出てけ」だとか「お前ら◯◯人は我々の敵」などと排外的な言動をしている。まあこういう言説は褒めらたものではないが、経済的な余裕や心的な余裕がなくなり、孤独で寂しく、経済成長鈍化によりこれまで履いていた下駄(経済、金回り)が取れ、馬脚が露わになっただけ。人間は本来そういう醜い生き物なのだろう。排外主義やこの手の噴き上がりを見つけたら、「あぁ、この人は寂しいんだな」と思うことをお勧めしたい。こう言う光景を見せつけられると、醜い部分を含めた人間の本来の感情がどういうものかがわかるし、「同志のために」「同じ国に住むんだから」「○○人として」「一億総〇〇」みたいな主張をすることの無理ってもんがあることも理解できよう。困ってる赤の他人を「同じ社会の人だから、持ちつ持たれつ」だし、公助で助けるべきだと考えられるのが近代化以降の人間の良いところでもあることも付け加えておきたいが、あくまで共同幻想を信じることでそれは成り立っている。

ハラリ氏の本にもあるのだが、ヒトが普通に連帯できるのは100数十人程度。それ以上の人を束ねるには「共同幻想」の共有が必要ということになる。数百万から数億人を束ねるための、「国民国家幻想」は20世紀の時点でボロが出まくった。チェコスロヴァキアは無血分裂で良かったが、ユーゴは血みどろの内戦で分裂した。日本人はあまり意識していないが、21世紀の今も、民族共存でそれが火種になる可能性がある社会はある。そもそも機械的に国境線を引いて国民と国を定義するのには無理がある。特に中東やアフリカでは欧州の帝国主義が直線的に引いた国境が民族を分断した。民族紛争になったり、大虐殺に至るものもある。

あと、日本では社員を組織に繋ぎとめるための「擬似家族的企業幻想」や「終身雇用幻想」があったが、企業の首が回らなくなり、この手の幻想も霧散した。現代日本には、地域に根付いたり、仕事は程々に仕事から帰って地域活動をするという習慣がないので、仕事以外の人間関係を築く人が少ない。雇用主が従業員をいつでも好きな時にどこかしこへ引っ越しさせることができるのを許容している社会は少ないし、転勤は日本で地域が崩壊する多くの要因の一つだろう。地域崩壊の理由は他にも郊外化(幹線道路化、ショッピングモール化)、コンビニ化なども関わってくる。

そして仕事の人間関係ももはや昔のように「どこまでも一緒の同志」ではない。どこにも帰属する集団がい無いということになり、かと言ってユダヤ人や華人(敢えて中国人と呼ばず、世界中に散らばる中国系の人々と言う意図で華人)のような強い家族の連帯・絆があるわけでもない。世界的に人々はインターネットにより蛸壺化して孤独になり、グローバル化による先進国の中間層の分解などで経済的な下駄が外れて、人々は噴き上がりやすくなっていて、排外主義に傾きがちなのだが、地域や家族の帰属集団が無い現代日本人は世界でもトップクラスの孤独の中にいるのではないか。そしてこういった孤独や「過剰な最適化思考(便利化)」の帰結としての副産物こそが5.0の世界の裏の側面であり、人としての喜び(1.0)から最も乖離した状況だと感じている。

さて、共同幻想の話に戻るのだが、こういう機械的でシステム的に線を引いたりすることで人を束ねて、虚栄の一体感に浸っても、やはり人の本当の幸せから遠ざかる一方だと思う。人は理念でまとまれるけど、その理念は人を幸せにするものである必要がある。そしてその理念は人を分断するものでもあることを知っておく必要がある。

狩猟最終の時代は国境もなくパスポートもなく、身近な集団と生き残るのための毎日だったわけで、SNSで赤の他人から「いいね」で承認もらっても、「誰が真にあんたを大事にしてくれてるのよ?」って話なわけ。人間の本質的な喜びって身近な大事な人と何の変哲も無い身近な幸せを共有して、身近な人を労って何かを提供したり、笑ったり、誰かと美味いもん食うとか、ちょっと見知らぬところまで行って見る、知らない店に入って見るなど、(スマホで何があるかどんな景色が広がってるか分かってしまう今の時代は観光が本当につまらない)とか、そういう感情と結びついたことが本当の幸せだと思う。
別に貧しかった頃に戻るべきなんて毛頭思わないが、貧しくても家族で食べた、見てくれなど一切考えずに配膳された母親の味が、一流シェフの外食より断然旨いみたいなものとか、クタクタになりながら山に登って、山頂で食う原価10円程度の自分で握ったおにぎりや体に悪い化学調味料だらけのカップ麺が旨いとか、そういう遺伝子が反応するような感覚ってとても大事なのだと思う。

人間は本来、未知のものに誘惑され、今その場の目の前にあることに没頭したり、美しいものに感嘆し、未規定なものに惹かれる存在。学びにもこういった感覚を呼び起こすことができれば学びはゲノム的に楽しいものになりうる。食い入るように本を読んでしまうこととか皆さんありませんか?

ただテストのために勉強するとか、給料上げるために勉強するのもいいんだけど、やはり未知のものに触れ、それを知ろうとすることが人間としての本質的な、学びはある種の喜びや享楽だと思う。学びの体系って分野ごとに、横に広がっている。何かの分野を極めた人が、他の分野に横に展開していくこともある。そして何か1つの分野をそれなりに体型的に学んだ人は学士、修士、博士などと一定の評価をしてもらえる。これまで積み重ねてきた学びは全て他分野にも繋がってる。1つの極めた学びは、他の分野でも生かせる。だから学びに近道は無いし、将来役に立つかなんかわかるはずもないけど、人には好奇心に駆られて学びたいものとかもあったりするのが本来の姿なのでは無いだろうか。
効率重視や詰め込みでやるのもいいけどさ、それだと学びや学びの喜びを見逃してしまうことも多いと思う。Learning1.0はそういう意味でより原始的でゲノムに忠実で、喜びを司る遺伝子が反応してしまうような、人間の未知や未規定に惹かれる好奇心を大事にし、学ぶ喜びを感じながらその感情を大事にしていくことを意味して名付けた。狩猟採集原始時代上等。つーかLearning5.0なんて人間の本質的な学びの喜びなのか?便利にして、効率化、最適化して、学びを無理やり強制させても、深みのある学びにもならん。便利、安心、快適で失われるものって多くて、特にそれにより失われる人間関係や人としての感覚って結構致命的だと思う。

さて話を戻して、学びとは過去の偉い人たちが積み上げてきたものをたどり、まだ誰も研究したことがない場合は、未知に向かって足を踏み出すことだと思う。そういう学びをしていきたいよりゲノムに忠実な人が増えるといいな。ゲノムに忠実な人が増えると周りの目を気にし過ぎる人が減る。最近は、振る舞いとコミュニケーションが異常なほど高度に発達しすぎて、周りの目を気にして恋愛ができない・街頭で困ってる人を見ても周りの目が気になって助けられない、といった人が減るはず。しのごの言う間も無く勝手に体が反応するようになる。考えすぎって良くないよね。あ、でもひとつだけ。性欲などの欲求を誰彼構わず解放するのはダメですね。残念ながら、それは狩猟採取やそれ以前の動物の時のように誰彼構わずは困ります。が、そういう方には是非良き恋愛に踏み出してほしい。良く洋画とかで描かれる熱愛って止められない、他の全てを犠牲にしてでもやるもの。相手の職業・所得が云々とか言ってるのは異様に且つ過剰に高度化、最適化された恋愛5.0。いちいちその人と一緒にいる理由を言語化しなきゃならず、相手に対してすることも一々合理的な理由が要るのって人としての楽しい恋愛ですかね?個人的には「恋愛も1.0へ」を推したい。

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